また感染状況が悪くなってきてしまいましたね。
千葉では金曜日からまん延防止等重点措置が適用されたので、様子見でひとまず県内で散歩することにしました。
朝は都心も氷点下になるほどの冷え込み。
近場走行ということもあり、暖かくなるのを待って余裕の12:00発とします。
その分時短にすべく、東関道から館山道へ高速で移動。
館山道も海に近い場所はすっかり暖かくなりましたが、山間の法面の日陰にはちらほらと氷が残っていました。
高速を降りる前に君津PAで小休止。
今日はちょっと歩く予定なので、ここで多めに飲み物を買って積んでおきます。
富津中央道で下道に降り、南へ5kmほど走って目的地へ。
最初の目的地は湊川沿いの小さな空き地。
ここにバイクをとめて、しばしハイキングです。
この辺りの地名は売津(うるづ)で、目指すは妙見山にある妙見堂と、その山中にある採石場。
まずは山の北側から民家の脇の小道に入って、南へ向かって山へ入っていきます。
間も無く見えてくるこの記念碑を目印にして、本格的に登りはじめます。
碑は昭和8年と古いのもので、このあたり一帯の耕地のために溜池と水路を整備した記念のよう。
山肌の石を直接掘り込んで作った階段を登り始めるとすぐに鳥居が見えてきます。
ここから先が境内ということですね。
しかし境内といっても、ご覧のとおりの登山道が続きます。
側溝には落ち葉が吹き溜まってはいますが、階段はちゃんと足元の地面が見えていて、地元の人に大切にされているのがわかりますね。
ただし年月を経て階段部分や坂の部分はずいぶんと削れてしまっており、歩みには注意が必要。
一通り登り終えると穏やかな鞍部につきます。
ここから先はほぼ平坦で、気持ちのいい木の根道をわたっていきます。
単管の手すりのついた階段が見えると最後の一歩。
標高は120m弱と、30階建のビルくらいの高さです。
階段の先にあるこじんまりした小屋が、妙見堂の本殿のようです。
妙見菩薩を祀っているので、鳥居はあれど形式としてはお寺のよう。
本殿前には石灯篭と狛犬があるものの、賽銭箱も屋内に仕舞われており、地元の方の信仰の対象といった感じの神社ですね。
他の人の記事によると、祭事以外では御本尊も麓に下ろされているよう。
とはいえ、せっかくお邪魔してタダ参りもアレなので、軒下に小銭を置いておきました。
ゆったり歩いて12〜13分ほどの山登りでしたが、勾配がきつめなのでふくらはぎが痛い・・・w
本殿の裏には謎の大きな穴があります。
ピンクの目印テープで落ちないように囲ってありました。
山道の手彫りの階段やこういう穴が綺麗に残っていることからも、このあたりの地盤が安定しているのがわかりますね。
燈籠坂大師のあたりや二階建てトンネルなどの古いトンネルもそういった地盤の産物で、コンクリートで固めた現役のトンネルが四六時中崩れて壊れている中央構造線あたりとは対照的です。
妙見山を降り、入り口の階段脇を覗き込むと、採石場、いわゆる石切場の跡があります。
ちょうど山の裏手にある鋸山もそうですが、安定した地盤を作っている凝灰岩はかつて房州石として広く利用されていました。
ただ、コンクリートの普及や機械堀りの大規模な採石が増え、1980年代以降は採石されておらず、各地の石切場はこうして当時のまま打ち捨てられています。
人の力で運搬できる手頃なサイズのブロックとして切り出しが行われていた採石場跡は、切り取った石の大きさそのままに、鑿の痕や切り取り作業で窪んだ地形がそのまま残されています。
かつて木製の作業用桟橋がかけられていたであろう穴もはっきり。
斜めに走った規則的な鑿(ノミ)の跡が綺麗ですね。
このあたりの採石場跡は1つだけではありません。
もう少し奥の方へも入ってみましょう。
山の側面、谷筋に沿って広がる田んぼは、先ほどの記念碑のあった耕地。
畦道の路面にはクローラーの跡があるので、今でも運搬機か小型のユンボが入っているよう。
畦道が狭くなったあたりで、山を登るように脇道に入ります。
倒木が降り重なるちょっとした登山道のような道を進んでいきます。
一見放置されたままにも見える道ですが、有志の保存会が定期的に整備をされている様子。
本当に放置されていたら、2〜3シーズンもすれば笹藪に飲まれて足の踏み場もなくなりますからね・・・
2〜3分歩くと、ご覧の場所にたどり着きます。
一見水路かトンネルのようにも見えますが・・・
ここも採石場の跡でした。
トンネル状に切り出されていて、脇にはゴロゴロと捨て石が積まれています。
トンネルを抜けると、石の合間から空が見えました。
トンネルを通っている時は、「わざわざ掘り抜くくらいならそのへんの石を出荷すればいいのに・・・」と思いましたが、鑿の痕が頂上まで抜けていることを見る限り、上から掘ったんでしょうね。
あまりに深くなってきたので、低いところの石を運び出すのに後からトンネルを掘ったと推測。
長い年月を経過して、伸びた木の根や積もった落ち葉が地面を覆ってなんだか不思議な雰囲気です。
斜めからさす直射日光とオーバーハングした石切跡の影、そして一面に生えた苔がいいコントラストですね。
古代遺跡のような雰囲気すら感じる、ひっそりとしたスポットでした。
脇道から戻り、耕地沿いの道を遡ってもう少し奥には、溜池の堰堤と思われる道があります。
今は農閑期だからなのか、もう田んぼはやっていないのか、溜池はひあがっていました。
この堰堤上の道が思いのほか綺麗なので、この先も何かありそう・・・とちょっと気になりましたが、時間はもう15:00前ですし、斜面が東向きなのもあって、これから先の時間帯は日陰になってしまうので、探検はまたの機会にしてここで引き返します。
たっぷり山歩きをしたあと、そのまま帰るのは勿体無いので富津岬へ向かいます。
途中で腹が鳴って朝から何も食べていなかったことを思い出し、コンビニで軽食をとります。
美味しい海鮮丼のお店という感じの状況でもないですからね。
コンビニ休憩込みで1時間ほど走って富津公園へ。
16時前で早くも太陽は傾き、園内を進む道はすっかり防風林の日陰になっています。
今日は風も波も凪の状態で、真冬にしては過ごしやすく、ほどよい陽気。
この時間からどこか回るのも微妙ですし、ここで夕暮れまでまったりしましょう。
岬から見える君津の工業地帯は派手にモクモクしていました。
なまじ風がなく、空気が澄んでいるので工場の煙が大変よくない感じに見えてしましますw
園内を散策したり、上空を通過する飛行機を眺めて1時間ほどつぶし、17:00前には日没。
影になった展望台と、遠くに見える富士山のシルエットが綺麗です。
太陽が完全に落ち切るのを横目に走り始め、下道でゆったり帰路につきます。
夕方の蘇我〜船橋あたりは大渋滞で、朝は高速使って1時間あまりで通過できた道を2.5時間かけて戻りました。
昼出発の山歩きに、渋滞のトッピングも添えて、距離は全然伸びずに177.7km。
ODOは59565kmになりました。
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