バイクに乗ると「移動自体が目的」「バイクに乗るためにバイクに乗る」というのが当たり前。
しかしたまには趣向を変えて観光のための移動手段としてバイクを使うことに。
メインの目的はタイトルの通り、筑波海軍航空隊記念館です。

施設のオープンは9:00ですが、予約展示の地下戦闘指揮所・零戦レプリカ展示は11:00〜からが一番早い枠。
施設展示を見る時間も見越して、9:30に現着するように調整し、7:00過ぎの出発とします。
筑波といいつつ笠間市にある施設なので、まずは冬のおなじみ6号線北上から。
都心から高速なら1.5時間、下道ではおおよそ2.5時間あれば到着するはず。

都会を抜けて筑波山が見通せる田園地帯を横切っていきます。
晴れ渡ったきもちのいい天気ゆえ、凍結の心配はなし。
時間は遅めにしたとはいえ、そこは冬の朝、気温はずっと3度を下回っていて、メーターの低温警告が光りっぱなし。

つくば市をかすめてまだまだ北上、交通量は多くなく、インカムで音楽を流しながら快適な走行が続きます。
下道の速度だとエンジンも風切り音も静かなので音楽聞くのが楽しいですね。

常磐道の千代田石岡ICを越えるあたりで、県道138号に逸れます。
とはいっても風景は同じように田園地帯の片側1車線。

県道138号はすぐに国道355号にぶつかるので、これを左折して北進。
常磐道を挟んで国道6号の反対側を、走り、徐々に扇形に離れていきます。
北関東道の高架をくぐり、某ネットショップの大きな物流倉庫が見えてきたら、まもなく目的地です。
到着は狙った通りの9:30。

施設は旧日本海軍の航空隊のひとつ、筑波海軍航空隊が展開していた基地の史跡。
現在は敷地が茨城県立こころの医療センターとして使われています。
敷地に入ってすぐ左手に看板があり、案内通りに脇に逸れると、記念館用に砂利敷きの駐車場があります。

記念館に入る前に、敷地内の史跡を巡ります。
到着してまず道路脇に見える閉鎖された大きな門が、当時から残る旧「隊門」です。
基地開設当初(霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊時代)は裏門だったものですが、筑波海軍航空隊への改組にともなって正門になりました。

戦後には海軍が解体され、海軍航空隊も消滅しました。
航空機を運用していた広大な跡地には、水戸高等学校・宍戸中学校・茨城青年師範学校など様々な学校が移転しました。
さらに1960年からは茨城県立友部病院が敷地一帯を利用しており、司令部の庁舎も病院の管理棟として使われることに。
その関係で、隊門には「茨城県立友部病院」の文字がはめこまれています。
茨城県立友部病院が改組改名したのが現在の県立こころの医療センターというわけですね。

隊門の脇には「筑波海軍航空隊 ここにありき」と勇壮な石碑が建立されています。
ここに刻まれている通り、筑波の航空隊基地は当初から海軍のパイロット教育機関として活躍したあと、戦争終盤に本土を爆撃する敵機の邀撃基地となりました。
末期には神風特別攻撃隊の発進基地となり、8機8隊の64機がこの地でその任につきました。

開放されている施設は戦時中のものもありますが、多くは病院となってから作られたり、改修されたものです。
友部病院は元々茨城県立内原精神病院を母体に開設され、現在も「こころの」医療センターであるように、精神科を主体としています。
どこか無機質で、大病棟ではなく、小さな建物が点々としているのがその証のように思えます。
それぞれを繋ぐ古びた廊下を歩き、史跡が多く残る敷地の北側へ。

廊下の案内も病院時代のものが多いですね。
このあたりの敷地は、戦中には兵舎や資材倉庫などが建ち並んでいたよう。

10ほどある敷地内の史跡は、見てまわりやすいような案内が建てられています。
こちらは1938年、分遣隊から独立した航空隊に改組された折、訓練中の事故などによって亡くなった方の供養のために建てられた供養塔。

つづいて病院時代の駐輪場と思しき鉄骨組の屋根の脇を歩いて敷地の北東側へ。

ここには隊門と対をなすように、裏門が残っています。
基地開設当初はこちらが正門だったものが、逆転したんですね。
そのほかにも、ボイラー室の煙突跡やガス貯蔵施設の基礎など、戦争当時の遺構がたくさん。
この近辺の病院施設も既に使われておらず、遺構の上に作った施設の遺構もなかなかの味わい・・・。

一方で敷地の東側や中央付近は、現役の施設や整地された駐車場の区画が綺麗に並びます。
このあたりは戦中、格納庫や掩体壕などが並んでいたようですね。

ぐるりとゆったり回って30分、10:00ごろ記念館に入ります。

目玉の大きな建物は、航空隊司令部として使われた2階建ての立派な庁舎。
最重要施設ですから、攻撃にも耐えうるよう頑丈に作ってあったでしょうし、それが戦後長く使われた理由でしょうね。

庁舎前の広場には号令台が残っており、司令部を背に広いエプロン跡地に佇んでいます。
偉い人が上に登って隊員を整列させている姿が目に浮かぶよう。

かつては司令部庁舎内に記念館の受付がありましたが、現在は隣接する小さな建物内です。
こちらで入場料金を払い、受付を済ませれば司令部庁舎にも自由に立ち入ることができます。
施設の入場料は500円と格安。
地下戦闘指揮所・零戦レプリカ展示もセットにすると800円ですが、それでも安い。

敷地内には売店、映像展示、ここで運用されていた飛行機の説明、海軍航空隊の解説など様々。
大きな展示物としては、ソロモン諸島から帰ってきた零戦の後部胴体が目を惹きます。
小さな模型の骨組みをならべて「この部分です」と説明があるのがわかりやすいですね。

全体的に展示は濃く、当時の資料だけではなく現在との比較や後年の考察、個人所蔵のアルバムの複製まで、余すことなく閲覧できます。
自衛隊の施設だと、どうしても広報としての立ち位置が濃くなってしまいますし、戦争展とかだと、いかに戦争の悲惨さを伝えるか・・・みたいな偏った展示になりがちなのですが、ここは本当に資料としての価値がすごいです。
映像関係の展示は時間がかかりすぎるので飛ばしましたが、特に印象に残ったのがこの日企画展として実施されていた「若人の夢と祈り」という展示。
涸沼上空で起こった空戦の目撃者や、墜落現場の処理をした人、撃墜されたパイロット手厚く葬った地域の人の手記、遺族が墜落現場を訪れて遺骨を発見したエピソードなどが仔細に、かつ読みやすく展示されていました。

一方で、売店には可愛いマスコットのTシャツやトートバッグがあったり、某これくしょんの公式グッズが並んでいたりとややカオス。
まぁそれはそれでw

展示館をまわったあとは、お待ちかね司令部庁舎。

入り口は中央の玄関でなく、受付と隣接する裏口からになります。

中廊下を挟んで南北に部屋が並ぶ構造で、階段は中央と両端の3箇所。
公開されている部屋は全体の半分ほどです。

いかにも丈夫そうなつくりの庁舎内を順路に従ってまわります。
私の通っていた小学校(現存せず)が1936年築の校舎で、この庁舎と同年代の建物だったので、なんだか母校を見て回っているような錯覚。
卒業アルバムを引っ張り出したくなりました。

受付のあった建物の展示室はパネル類が多かったのですが、こちらは模型や旗、写真など現物展示が中心。
各部屋ごとにテーマが決まっており、退屈せずに見て回ることができます。

司令室などは綺麗に復元がなされています。
なかなかいい雰囲気で、こういう喫茶店があったら通ってしまいそう。

この建物が映画のロケで使われた際のセット再現部屋などもあります。
野戦病院のような趣。
戦後になって病院として使われた時はどんな感じだったのかも気になりますね。
管理棟だから病室はなく、事務室だけかも。

当時の棚や小物類もしっかり残っていました。
割とナチュラルに太陽光が入ってきていて、展示室の雰囲気としては自然でいいんですけど、展示物の劣化とか平気なんだろうか・・・

こちらは正面玄関はいったところ、中央階段。
受付っぽい大きなカウンターつきの窓は、病院になってからのものでしょうね。
うっすら跡の残る文字は「医事課」です。

一階には大物の展示も充実していました。
筑波の航空隊に由来するものだけではなく、各地から集められた航空機のエンジンや模擬爆弾などなど。
機銃掃射の弾痕の残る倉庫の柱なんかも展示されていて、広いスペースを活かして各地からの資料を引き受けているようなイメージです。

45分ほどかけて記念館を回ったら、いちどバイクにまたがります。
敷地を出て左折、フェンス沿いの道路を南に走っていきます。

看板を目印に左折して新興住宅街の中へ。

どこへいくかというと、冒頭で予約が必要と触れていた地下戦闘指揮所・零戦レプリカ展示。
地下戦闘指揮所は当時の敷地の南西側、司令部施設と離れたところにあります。
軍事施設ですから、非常用の指揮所は当然目立つ本庁舎とは分散しますよね。

指定時間である11:00に到着します。
細い住宅地前の砂利道を抜けた先、駐車場は10台分。
敷地が限られ、地域の人の生活にも影響が出てしまうので予約制になっているんですね。

まず目に入ってくるのは、零戦の実物大レプリカ。
映画用につくったもので、元々は三沢の航空科学館に置かれていたもの。
塗装が筑波航空隊と縁の深いものを再現していることから、こちらに移管されたそう。

そしてそのレプリカの正面の小さな山が、地下戦闘指揮所。
1945年、本土爆撃が激化するにあたって作られたものだそう。
司令部庁舎とは地下トンネルで繋がっており、敵の攻撃を受けた際には滑走路の下を通ってここに移動、指揮を取る算段だったようですね。

内部はこんな感じで、いかにも無骨なコンクリート造り。
足元は悪いですが、通路は明るく照らされ、各部屋に解説も置かれており、歩き回って見学できます。

一方で部屋となっている部分はやや暗めの照明で、あえて不気味な雰囲気を出している様子。
小山の中を南北に通路が貫いて、その通路の間に部屋がいくつかある構造で、ちょうど司令部庁舎と逆ですね。

この通信室だけは南側の通路を挟んで離れて設置してありました。
発電機などが置かれるので換気や騒音を考慮したんでしょう。
部屋によってコンクリートの所作が違うのも面白いですね。

ということで、9:30に到着してから11:30まで、たっぷり2時間かけて各種展示を見てまわりました。
映像展示やファイリングされた資料は見送ってこの時間なので、ちゃんと見てまわれば1日つぶせる施設ですね。
いやーあらためてこれで800円はとんでもない破格。
安すぎて不安なので、とりあえず募金箱にお札つっこんでおきました。

メインディッシュを終え、あとはもう帰るだけ・・・というのも何なので、後半戦。
基地の南側から県道30号をぐるっとまわり、東へ進みます。

偕楽園の脇を抜け、国道50号へ入って・・・

やってきたのは水戸駅。

この周辺には、那珂川の河口を挟んだ水戸市とひたちなか市、沿岸部にそれぞれ2つのローカル線が走っています。
今日はそれの乗り通しもやってしまうことに。

まずは常磐線で1駅、ひたちなか市の勝田駅まで移動。
朝から人身事故で止まっていた常磐線がちょうど動き出したタイミングのようです。

勝田駅から発着しているのは、ひたちなか海浜鉄道の湊線。
11駅、14.3kmの短い路線ですが、途中の那珂湊駅からは大洗の水族館までバスで6〜7分、終点の阿字ヶ浦駅からはネモフィラやコキアで有名なひたちなか海浜公園まで10分というアクセスです。
海浜公園えは勝田駅からバス直結のほうが便利なのですが、来年春には延伸し、海浜公園まで直結する予定です。

片道570円なので、普通に買うと往復1,140円ですが、1日フリーきっぷだと1,000円で乗り放題。
さらに海浜公園の入場券つきだと1,100円です。
入場料金単体だと450円なので、1,140 + 450 = 1,590円ですから490円も割引ということに。
別に海浜公園に用事がないのですが、+100円だけで入れるなら行こうかな・・・

ということで30分ほどの列車の旅。
単行のディーゼルカーを家族連れに囲まれてゆるっと走ります。
半分くらいのお客さんは那珂湊で降りたので、いわき方面からの水族館行きでしょうか。

終点の阿字ヶ浦駅に到着。
駅をゆっくり見る間もなく、コミュニティバスが出発します。

100円バスで停留所3つ、海浜公園西口に到着です。

翼のゲートと呼ばれる西口はだだっぴろく、誰もいません。
ここは病院の跡地とかではないよね・・・?

西口側は樹木や草花の植えられた自然公園としての性格がつよく、今はオフシーズンです。
それでなくても車で来る人は駐車場から入場しますから、バスターミナルはマジで自分一人。
正面の案内図や公式サイトで様々な草花の開花状況が告知されていますが、今はちょうどアイスチューリップが終わって早咲きの梅が咲き始めらしい。

ということで梅を眺めに園内を散策します。

時間は13:30なので、太陽も高く暖かい陽気。
気温も7〜8度あるので、ダウンを着て歩いていると汗をかくくらい。

まだ「ちらほら」という程度しか咲いていませんが、あと1週間もすれば綺麗に花がつくのではないでしょうか。
梅が咲いたらすぐに河津桜の季節がきて、そのあとは菜の花に桜に・・・と春模様ですね。
その前に来週大寒波が来るらしいですが・・・

来る時に乗ってきた循環バスは微妙に不便なダイヤ、かつ海浜公園西口に止まる本数はほとんどありません。
待っているとリアルに日が暮れてしまうので、別のバス停まで20分あるいて1時間後のバスに乗るか、1時間歩いて駅まで帰るか・・・

園内で軽食をとりつつ迷った結果、歩くことにします。
園内を横切るように南口へ抜け、阿字ヶ浦駅まで3.5km。

海浜公園の真ん中を斜めにつらぬく常陸那珂有料道路をまつかぜ橋で越えると・・・

観覧車が目に飛び込んできます。

自然公園がメインの西口とかわって、南口はレジャー施設。
ちなみに中央は芝生広場で、東側にはアスレチックや自然体験施設、海岸沿いには砂丘が海岸に続きます。
こちらは多からず少なからず、ソコソコの人出で、小さい子供連れの家族が目立ちます。

レジャー施設を抜けて南口にたどりついたら、あとは田畑の広がる住宅街を抜けます。

こういう人口密度の低い地域は当たり前のように車が1人1台。
往路のコミュニティバスも乗客は私ともう1人だけでしたし、住宅街の歩道もやる気がありません。
大人一人で歩いていたら不審者と思われるとかそういうレベルです。

通報されないように歩き、おおよそ50分ほどで阿字ヶ浦駅に戻ってきました。

復路の列車の時間までややあるので、駅を眺めて待ちます。
「ひたちなか開運鐵道神社」と銘打って旧型車両(キハ201・キハ221)が展示されています。
近隣には有名な海水浴場と、温泉つきのスーパー銭湯的な施設もあるようなので、そこへのお客さんがちらほらいますね。
海浜公園まで延伸開業したあとは途中駅になるので、利用者がぐっと減ってしまいそうな気がします。

また30分列車に乗り、勝田駅に戻ってきました。
先ほどふれたようにローカル線は2本あるので、もう一本にも乗るべく、まずは水戸に戻ります。

水戸駅から発着するのは、鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線。
有名な沿線の観光地は大洗、さらに鉾田の市街地を通って、鹿島スタジアム。
終点はJRに乗り入れて鹿島神宮です。

こちらはフリー切符などなさそうなので、往復乗車券を購入します。
大洗鹿島線としての本来の終点は鹿島サッカースタジアム駅なのですが、この駅はサッカーの試合開催日のみ旅客扱いを行う臨時駅。
そのため、乗り入れ先のJR鹿島神宮駅が実質の終点です。
JRの駅からJRの駅を、鹿島臨海鉄道を使って走行することになるので、ちょっと切符の買い方に迷ってしまいました。
大洗鹿島線きっぷでは鹿島神宮駅を指定できないので、JR線きっぷで大洗鹿島線経由の鹿島神宮駅行きです。

列車は「大洗といえば」ということで某アニメのラッピング車両でした。
車内までアニメアニメしていて落ち着かない。
しかしこの作品、テレビ放送2012年秋ですから、はや10年前ですか・・・。

大洗鹿島線は路線延長53km、1時間半ほどの長旅です。
時間は16:00をまわり、曇った窓から暮れゆく夕陽を見ながらのローカル線旅行。
ディーゼルのガラガラ音を聞きながら、暖かい座席でうとうとするのも、それはそれで楽しい旅行です。

鹿島神宮駅に到着したのは、すっかり日も落ち切った17:45。
夏ならまだまだ活動時間ですが、1月ですからね。

駅前に何かあれば買い物か食事でも・・・と思いましたが、まぁなんもないです。
神宮は年末に参拝したので今更ですしね。
ということで復路のきっぷで来た列車に乗り直してそのまま折り返し。

再度1時間半の旅を終え、19:30をまわりました。
帰りは高速に乗ってしまえば1.5時間なので、急ぐこともないですが、まぁせっかくなので水戸納豆を食って帰りましょう。
ということで駅前の食堂でロースカツ定食に納豆を足してディナーと洒落込みます。
マスクの中が納豆臭くなってはいけないので食後のコーヒーも忘れずに。

ちょっと予定をよくばりすぎた感じはありますが、冬でもないと「2.5時間記念館を見る」「3.8km歩く」「4.5時間列車に乗る」なんてことはしないので、変わり種としてはアリでしょう。
今シーズンはもう絶対しないけどな!!!
帰りはガラガラの常磐道でするするーっと戻り、走行距離は行って帰るだけの227.5kmでした。

ODOは96383kmになりました。

コメント
コメント一覧 (2)
亡くなった親父は、予科練出身との事でしたので予科練記念館にはいつか行きたいな~とは思っていたのですが、こちらも見てみたくなりました
海浜公園もまだ行った事が無いので、一回行ってみたいとは思っているのですが・・・コキアとかネモフィラの時期は凄まじい混雑するみたいなので、まだ行けてません(笑)
私も地図をザッピングしていてたまたま発見しました。
映画好きな方でもなければ、それほど著名ではない施設のようですね。
海浜公園はとても広く、なかなか1度で見れるものではないので、ハイキングのつもりで行くのが良さそうです。
公式サイトでその時々の花の開花状況を案内しているので、著名ではない植物の見頃を狙うと混雑を避けられそうです。