西伊豆を回って島田の宿に泊まった翌日は、更に西に走って長篠・設楽方面へ。
1968年に廃線になった豊橋鉄道田口線の廃線跡を辿ってきました。
宿を島田にしたのは、田口線の前にいくつか寄りたいところがあるから。
出発は太陽が十分に登り切るのを待って、7:00。
1つ目の寄り道は、島田駅のすぐ南東、大井川にかかるこの木橋。
名前を蓬莱橋といい、897.4mと木造の歩道橋としては世界一の長さであるとギネスブックに掲載されているそう。
堅牢なものでないとはいえ、これだけの橋が1872年、つまり150年以上前に架かったのだからすごいもんです。
中央部分の橋脚は1968年になってコンクリートに置き換えられていますが、人が通る部分は全面木製です。
北端にあたる左岸側には大きな駐車場と休憩施設が整備されており、間近まで車を乗り入れることができます。
ちょうど東から差し始めた朝日に輝いて、その等間隔に並んだ橋脚が美しいですね。
大きな商業施設からも近く、公園として整備されているのでお昼になったらたくさん人が訪れそう。
付近には勝海舟の像が建立されていたりもしましたが、これは橋の行き先である牧之原台地を開墾したことで名産の茶の生産拡大に協力した・・・という理由だそう。
実際、蓬莱橋の南を航空写真で見てみると、すさまじい広さの茶畑が広がっている様子がわかります。
橋を遠景で見るとその異様な長さが更にわかりやすいです。
下流域は川幅が広く、それほど急流になりづらいとはいえ、幾つものダムを擁する水量豊富な川でこれだけの橋を架け、維持するのは並大抵のことではないはず。
実際、数年おきに増水で流され、その度に補修が行われています。
橋は現役で、歩行者・自転車は100円で通行することができます。
生活に根ざしているためか、なんと定期券が設定されていて、800円で1ヶ月渡り放題です。
2/1から中央部で櫓を組んで改修工事が行われており、現在は対岸まで渡れないため無料。
工事は2/25終了予定だそうです。
途中まで渡ってみましたが、結構軋む上に欄干が低くて、割とスリリングですね。
蓬莱橋をたっぷり見学したら、長篠へ行く前にもう一つ寄り道。
目的地は、大井川橋越しに見える「茶」です!
昨日渡ってきた大井川橋を再び渡って右岸へ。
諏訪原城跡の脇を過ぎ、牧之原台地へ上がって茶畑の中を進みます。
いやーこれだけの広さの茶畑は壮観という他ありません。
等間隔に並んだ畝はまるで絨毯のようです。
「茶」の文字は、粟ヶ岳の南東側斜面に植えられた檜の植栽。
今は植栽は枯葉色ですが、八十八夜の茶摘みの季節には新緑でとても綺麗な景色になりそう。
麓の丘には、この山を眺めるビュースポットが用意されていて、近隣で行われている茶草場農法がアピールされています。
ビューポイントはぜんぶで3つあり、どれも離れていないので回って見ることにしましょう。
粟ケ岳に近いほうから、3・2・1の順です。
ビューポイント3から800mほどいくと、ビューポイント2。
3は未舗装駐車場でしたが、2は半分舗装されています。
案内看板は基本同じものが立っているようですね。
配水施設を挟んで100mほど行くと、1があります。
1は全面舗装されていて、バイクは停めやすいですね。
数字が小さいほど離れていくので周囲の山を見渡しやすいのですが、一番茶文字の正面に近いのは3ですね。
粟ケ岳の茶文字の上には茶草場テラス(かっぽしテラス)という施設もあるようなのですが、車・バイクでの来場はあまり歓迎されていないのと、10:00オープンのようなので見送ります。
ビューポイントを回ったら、時間は8:00。
気持ちのいい青空で放射冷却も進んで、台地の上はこの時間でやっと2度。
凍結に気をつけつつ、丘を降ります。
向こうの山に見える巨大な施設は、中部電力パワーグリッドの駿遠変電所。
山間部に突如現れる電力施設、秘密基地っぽくてトキメキますね。
山を降りたら、掛川バイパスで一路西へ。
山をぐるっとまわるか、島田金谷ICまで戻らないと新東名に乗れませんからね。
大池でバイパスを降りたら、天浜線と並行して走り、森掛川ICから新東名。
浜松SAで早めの給油をしておき、ガスの心配をなくして山に入っていきます。
日曜日この時間の山中、GS開いているのを期待すると痛い目を見ますからね。
浜松いなさJCTをぐるっと回り込み、浜松いなさICで下道へ。
やっと寄り道を終え、本題の田口線めぐりです。
国道257でもう少し西へ進んで、愛知県に入ります。
冬の低い角度の太陽では、全く谷底まで日光が届きません。
国道は幾度か新東名をアンダーパス。
朝見てきた蓬莱橋もすごかったですが、2000年代の建築ともなるとスケールが違い過ぎますね。
プレストレストコンクリートの細くて優雅でデカくて高くて長い橋は惚れ惚れします。
これで震度7とかの地震にも耐えるってんだからとんでもない。
そうこうしているうちに、田口線のかつての起点である本長篠駅に到着。
本長篠駅は現役で、JR飯田線の駅です。
開業当時は鳳来寺鉄道鳳来寺線でしたが、戦時中に国有化されました。
簡易委託ですが有人駅なので、窓口で入場券を買って駅構内を見学します。
時間は印字されている通り、9:00を回ったところ。
駅には停泊していた本長篠どまりの列車と、ちょうどやってきた豊橋行きの列車が並びました。
飯田線といえば秘境区間の数時間に一本というイメージですが、本長篠までは1時間に数本の列車が発着します。
航空写真などを見ても、このあたりまでは平地が続いていることがわかり、人口も多いんでしょうね。
現役のホームは島式の2線ですが、脇に1本ずつ線路があったような敷地。
このうち向かって左、北側の駅舎に隣接している方が、かつて田口線の線路でした。
正面に向かって進んだあと左に逸れていく線路だったと思われます。
ここからは、田口線の終点である三河田口駅に向かって、廃線跡のスポットを辿りながら北上します。
追っかけやすいように地図にプロットしたのでこちらも見ながらどうぞ。
(別ウインドウで開く場合はこちら)
駅を出て少し道路を進むと、思わせぶりな空き地があります。
これがかつての線路敷地で、更地のまま残っています。
振り返るとこのように、ゆるやかな曲線を描いて道が続いています。
ここからはバイクでも走ってたどれるので、廃線跡を走行です。
交差点の先は、左右に桜の木が覆い被さる綺麗な桜並木が続きます。
単線の線路の幅は遊歩道としてちょうどよく、古今東西活用例が絶えません。
並木の桜は早咲きの河津桜のようなので、おそらく2月後半から3月半ばで満開になるのではないでしょうか。
桜並木のすぐ先にはトンネルがぽっかり口を開けています。
鉄道トンネルらしい、馬蹄型のトンネルです。
開業時から電化されていたので、トンネルの背が高いですね。
内部は廃止されたあとも継続的に補強・補修されている様子。
見てわかる通り、すれ違いは困難なので、先を見てから進入しましょう。
トンネルを抜けた先で、廃線跡は施設の駐車場の中を通って山中へ。
その後崖につきあたり、大きな橋で川を渡ります。
川は大井川といいますが、もちろんあの大井川とは別の大井川。
豊川水系、宇連川の支流のようですね。
その橋梁跡の真下を通るように県道32号が伸びており、残った橋脚と橋台がよく見えます。
しかしものすごい高さの橋台ですね。
去年3月のツーリングでこの場所を通りかかり、帰宅後に調べたのが今回のツーリングの発端でした。
橋を渡ったあとは、廃線跡はしばらく左岸、県道は右岸と別れて走ります。
県道を富保上大草地区まで走り、道路を左折して西谷下地区へあがると、次の史跡。
農道の先にぽっかり口を開けているトンネルが見えます。
南北両方にトンネルが見えるので、まずは本長篠方にあたる南側へ。
轍があるのでいけるかな、と思ってバイクで入ってみましたが、洞内は転ぶレベルの大きい石がゴロゴロしていたり、段差になっていたり、ぬかるんでいたりとやや危険。
歩いて入るのが無難ですね。
トンネルを抜けた先すぐに、ホーム跡が見えてきます。
北側はスロープ、南側は階段になっているようですね。
杉林の中にひっそりと佇む古びたホームがいい雰囲気です。
駅構内南端には田口線廃線50年の幟がたっていました。
こうして雑草に飲まれていないことからもわかる通り、観光客向けに草刈りや維持管理をしてくれているんですね。
しかし廃線50年って2018年なので、もうすでにこの幟ですら5年前・・・
小さな木の駅名標もどきが立てられている通り、ここは三河大草駅跡。
本長篠駅の次の駅にあたります。
幟の先を歩くのは骨がおれそうだったので、今きたトンネルを戻ります。
北側に見えていたトンネルまでの築堤がまさに廃線跡といった感じ。
近づいてみると、木々に覆われたシルエットが異世界への入り口のよう。
ここも抜けられそうではありましたが、地図を見る限り抜けた先に舗装路がないようなので入り口から眺めるにとどめておきます。
富保小谷下地区に出るようですね。
その先は県道の改良に伴って線路跡が消滅している部分が多いそう。
次の鳳来寺駅は現在鳳来寺山への参道入り口の駐車場になっているみたいです。
スキップしようと、県道に戻って少し走ると、道路脇に再びトンネルを見つけました。
これは事前の調査ではノーマークだった。
「このトンネルを抜けると!青少年旅行村です」と書かれている通り、廃線後には鳳来寺山ろく青少年旅行村へのアクセス路に使われていたようです。
現在は通行止め。
反対側に回り込んでみると、こちらも通行止め。
そりゃそうか。
鳳来寺山ろく青少年旅行村は老朽化で閉鎖されたという情報があり、重機がなにやら工事していました。
県道に戻ってさらに進むと、頭上に不自然な柵の連続が見えることに気づきました。
おそらくあれも廃線跡でしょう。
線形から見ると、鳳来寺小学校の敷地の東端あたりで交差したかな?
戻ってみると鳳来寺小学校前交差点の脇から道路が伸びていました。
入り口はポールが立っていて進入禁止のようだったので、どこか登れる道はないかと探します。
(禁止とも言われていないしバイクでは入れる隙間でしたが、多分遊歩道)
玖老勢上貝津のあたりで脇にそれ、丘を登っていくと、ちょうど廃線跡と交差しました。
南側は真ん中のポールが降りている。
北側も進入禁止。
この部分だけがお墓のアクセス路として開放されていて、前後の区間は遊歩道のようですね。
自転車ならあるいは走れるのかも。
この写真の少し先に、玖老勢駅があったようです。
県道に戻ってしばし走りますが、しばらくは地図で見る限り廃線跡を県道の改良道として活用していそうな地形。
脇に細々とした旧道らしき道がありますが、おそらくそれが元の県道みたいですね。
三河大石駅も県道や病院などに飲み込まれて残っていない様子。
副川作り道のあたりで廃線跡と県道は分かれるようなので、そちらに折れて走行。
築堤あり・・・
堀割あり・・・
トンネルありの楽しい走行です。
さながら電車ごっこのよう。
廃線跡であることを差し引いても、ゆるやかなカーブと長めのいい平坦な道路はとても気持ちのいいルートです。
しばしの快走をへて、道は海老構造改善センターの敷地に突き当たって終わります。
海老はこのあたりの地名、構造改善センターが何なのかわかりませんが、公民館的なコミュニティ施設のようですね。
このセンターの敷地が、三河海老駅の跡地のよう。
振り返って北側もほぼ更地。
段階的に開通した田口線では、最初に開通した1929年から翌1930年に延伸されるまで、ここが終点でした。
また、車庫なども設置されていたようで、妙に広く何もない敷地が広い駅跡を忍ばせます。
海老駅跡から北は、また県道の改良によって線路はなくなった様子。
妙に路肩が広かったり、法面が道路と並行でないのがその名残りか。
廃線跡をつぶす価値のあるスムースな道が続きます。
現在も進行形で斜面を保全しているようですが、どうも上に見えるガードレールが廃線跡のような?
海老池貝津のあたりで上の道からづつく地形と邂逅。
地元の人の通行に利用されているのか、割と綺麗に残っていますね。
このあたりがどうも滝上駅だったようで、奥に見える石垣がホーム跡。
反対側を見るとトンネルがぽっかり口を開けています。
中は割と綺麗。
突き出した地形に作られているので、風通しがいいのかもしれません。
トンネルの先も路盤は残っていましたが、ずいぶん削られていますね。
左手の崖の石垣を見るに、かなり苦労して作った線路であることが伺えます。
ど真ん中に生えた木も、廃線55年目では致し方なし。
県道に戻って走ると、すぐに大きなトンネルに吸い込まれます。
ここからは海老川を離れて、一つ隣の豊川沿いに出ます。
こういう地形では鉄道もトンネルを穿っていて然るべきですが、実はこの稲目トンネルこそが廃線跡。
もちろんこんな高規格なトンネルだったわけもなく、後年の改良により拡幅されています。
ずっと走ってきた県道32号はここで県道389号に変わります・・・といっても、ずっと重複していたんですけどね。
トンネルに入らず県道32号をいくと、四谷の千枚田にたどり着きます。
稲目トンネルを抜けた先、駐在所の脇に広大な空き地が広がっています。
これが次の駅である田峰駅跡・・・に併設する貯木場の跡。
田峰駅からは御料林、つまり皇室所有の森林から切り出した木材を搬出する林鉄の起点が設置されており、ここで田口線に積み替えが行われていたそう。
だだっぴろい敷地と、うっすら二段になった構成がそのような往時の話に説得力を持たせます。
北側を見ると、小さなトンネル。
これは田口線ではなく、田峰駅で連絡していた森林鉄道のもの。
トンネル入り口脇に田峰駅の駅名看板が置いてあります。
田峰駅から先は田口線は対岸に渡って、長原前駅へ向かいます。
対岸の廃線跡は町道になったこともあるようですが、現在は通行止め。
荒れていることが予想される上に距離も長いのでスルーし、次の清崎駅跡にできた道の駅したらへ。
県道389号は駅を出てすぐ国道257号に変わり、引き続き田口線と並行して走ります。
道の駅したらには、かつて田口線を走っていた電車が展示されています。
モハ10形とよばれる形式の電車、モハ14は、元々鳳来寺鉄道で活躍しました。
その後田口線に譲渡されて廃線まで活躍し、しばらく田峰駅で放置されたあと奥三河郷土館(現在の奥三河総合センター)に展示されました。
道の駅が開設されるに伴って奥三河郷土館も併設されることになったため、あわせてここに移動してきたそうです。
展示されているモハ14は自由に車内を見学できます。
ドアは手動。多分当時から手動だったんじゃないかな。
車内にはスノコが敷いてありました。
木造車体なので、おそらく腐って緩んでいる場所があるのではないかと。
片側3扉、やや背の低いながらも明るく美しい造作です。
1925年、大正14年に鳳来寺鉄道を電化した際に導入したそうなので、大正ロマンといった感じですね。
車内は一部座席や棚を撤去して田口線の写真や関連品を展示してあります。
運転台は今の基準でいうととても狭く、機器も簡素なもの。
しかし狭い分窓が近いので、景色はよかっただろうなと思います。
床が高くて車両の背が低いからか、全体的に目線の下にものがあるのでミニチュア電車を見ているよう。
明日2/6から3/10にかけて、車両のお色直しを行うことを予定しているそう。
訪れる人は3/11以降にいくと綺麗になった車両が見れると思います。
道の駅で時間は10:00を周りましたが、まだまだ廃線跡は終わりません。
道の駅のすぐ北から、最大の廃線跡活用道路が始まります。
国道の脇、高さ制限のゲートに入ります。
この先は元々、終点の田口駅跡まで続いていました。
しかし現在は、建設中の設楽ダムの堤体を突っ切り水没域に突入するため、通行不可。
完成は2034年の予定。
川面には謎の橋脚のような石積みのようなものが。
脇の看板には「弁天様」と書いてあったので、田口線の線路とは関係なさそう。
廃線跡の町道は川を渡り、すぐにトンネル。
杉林を抜ける道を気持ちよく走ります。
すれ違い不可なので、対向車が来てもいいように速度はゆっくりゆっくり。
トンネルがまた現れます。
どれも金太郎飴的な馬蹄形のトンネルですが、建設時期が時期だけに比較的短いものが多いです。
この中で1.5kmもある稲目トンネルがいかに異端だったか・・・と思います。
その先で蛇行する豊川にあわせて線路は対岸に渡っていました。
「高鉄橋」という手書きの札がついています。
資料によっては第四寒狭川橋梁とも。
橋を渡った先にもまたトンネル。
こちらも馬蹄形ですが、後年補強されたのか、つらら防止なのか、それとも頭上注意なのかわかりませんが、謎の二重天井になっています。
清崎から三河田口までは駅間が長く、この間駅はありません。
この先も廃線跡はつづきますが、工事予告の距離を考えるとそろそろ通行止めのはず。
いくつかトンネルと小さい橋があるくらいなので、ここらで引き返すことにします。
引き返す時に撮影した動画がこちら。
大人の電車ごっこだ!
一度清崎駅まで戻り、時刻は10:30。
国道を設楽の中心部まで走り、次の目的地へ・・・の前に、まだ時間もありますし、旧田口駅へのアプローチを試してみます。
通行止めの終端箇所は「旧田口駅舎」と書いてありましたので、一応反対側からも確認。
ダム工事に伴ってか、道路はかなり改良が進んでいますね。
未改良と思しき区間も気づけば横から改良予定道が接続してきていたり、ダムの保証というのは地元に恩恵が大きいのだなあと思います。
設楽の中央部で県道33号に入って峠を越え、豊川沿いに移ります。
うーん、だめっぽい!
この町道を降りたらすぐに田口駅なんですけど。
県道は水没予定だからか、すでに県道指定を消されていますね。
アンダーパスしている工事用道路を通れば行けるような行けないような。
標識もあるので多分通っていいと思うんですが、自信がない。
通行が許可されているかどうか調べてみましたが、どうやら残っていた駅舎はだいぶ前に倒壊してつぶれ、今はホームの基部がやや残る程度だとか。
まぁそれなら危険を冒して進むまでもないかな、ということで、先に進むことにします。
廃線跡回りはこれにて終了。
廃線55年なのであまり期待していなかったのですが、思った以上にそのまま残っている箇所が多く、密度の濃い探索でした。
ここまで濃いのはのと鉄道能登線の廃線跡めぐりをした時以来かな。
満足したので、県道432号あらため工事に付け替えられた道路で北に抜け、国道257号から国道437号へ。
町の北側でも改良道路の建設がどんどん進んでおり、ストリートビューの同じ場所を見ても同じ景色とは到底思えません。
そんな圧倒的土木パワーを眺めつつ、国道を東へ進みます。
時間は11:00を回りました。
経由するのは、東栄町「月」。
浜松市天竜区の「月」が有名ですが、東栄にもあるんですね。
距離は結構離れている模様。
沿道にあった水処理施設、その名も月浄化センター。
字面だけ見るとテラフォーミングでもやってんのかって面白さがありますが、やってるのは下水処理。
そんな余計な寄り道をしつつ、東栄町の中心部を過ぎ・・・
少し行くと、目的地に到着。
時間は11:30、やってきたのはとうえい温泉 花まつりの湯です。
ここでお昼ご飯と、2日連続ですが温泉に浸かります。
浴室・露天ともに広々していて綺麗なお湯でした。
にごりの源泉と、成分を一部濾過した白湯もあり、幸いに人の数も多過ぎずゆったり。
食後は牛乳を飲み干して・・・
鉄火丼といかフライ。
海鮮と温泉しか頭にない週末に見えますが、朝は門出駅で買った茶スイーツでしたよ!
1時間ほどゆったりして、帰りはナビ任せ。
いくら東栄スタートとはいえ、この時間に出てしまえば渋滞も少なかろうという算段です。
国道151号を南進して鳳来峡ICから三遠南信道へ。
田口線とは違う歴史を選んだゆえ、今も現役の飯田線のガードを潜って行きます。
ちょうど高い橋脚が似たような場所を思い出させ、その対比が際立ちます。
三遠南信道からは新東名に入り、スムーーーーースに走行。
伊勢原JCTから海老名手前まで、多少混雑はしているものの詰まるほどの渋滞にはハマらず帰宅です。
この日の走行距離は438.9km
2日合計で829.6km
ODOは97990kmになりました。
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