月曜日に平日を挟んで火曜日が春分の日で、連休にする方も多いような週末。
しかし初日の土曜日には雨が降って気温も逆戻りしてしまいました。
翌日曜日は晴れ予報ですが、雨上がりの早朝に標高を上げるのは怖いので、天竜川沿いを這うように走り、秘境駅を探検することにしました。
ルートはこんな感じ
出発は5:30。
夜はソコソコ冷え込む予報かつ、列車の時刻合わせの行動なので、日の出のタイミングで出発します。
東の空を見ると、夜中まで雨を降らせていたであろう雲が、まだ薄く残っています。
自宅近くもなかなかの雨でしたが、都心でも雨はそれなりに強く降った様子。
防音壁で風通しの悪い場所はまだ乾ききらず、しっとり濡れています。
センターラインを跨ぎながら走っている危ない車を牽制して距離をとっていたら東名への分岐に入り損ない、無駄にC1を1周半・・・。
さらに首都高から綾瀬あたりまでの上り坂は若葉マークの群れが真ん中と右を塞いで自然渋滞を引き起こしておりタイムロス。
予想以上に冷え込んだ影響で港北PAで緊急ピットインしたこともあって、予定より30分ほどディレイで進みます。
幸先が悪いぞ!
御殿場からは新東名。
富士のあたりでやや青空をみて少し安心したのも束の間、掛川のあたりではにわか雨にも打たれます。
悪い予兆かもしれないので、無理しないで走ることにし、プランを練り直します。
今日辿りたい下道のルートに一番近いのは浜松浜北ICですが、既に何度も利用している場所なので、趣向を変えて新磐田SICで下道へ降りることにします。
このICは2021年の8月に開設された比較的新しいICで、工業団地に直結。
なかでも出口に一番近い一等地にはヤマハの技術センターがあり、カワサキ車としては敵陣に切り込む思いw
SICを降りたら、ぐるりと南に回り込みます。
浜松の天気は幸いにも晴れ、昼からは東日本全域で晴れる予報なので、この先は大丈夫でしょう。
浜北大橋で天竜川を渡り、右岸へ。
今日はここから先、ほとんどの工程を天竜川と共にします。
セルフスタンドでガソリンを入れ、併設のコンビニで昼食を調達したら、国道152号を北へ走ります。
新しいICを使ってみるというだけでなく、下道の安いスタンドでガソリンも入れる一石二鳥の算段です。
浜北で降りるとセルフスタンドは反対方向で、Uターンが発生するんですよね。
浜北の中心地を通過、ふたたび天竜川を渡って左岸に戻る頃に時計は9:00を回ります。
ただでさえゆっくり出たのに色々重なってこの時間になってしまったので、交通量もそれなり。
「ツーリングは1時間早く出たら2時間多く走れる」というのが私の持論ですが、今日は完全に1時間遅く出て2時間損しています。
川沿いに遡上しはじめると、日が登ってきたのもあって厳冬期装備ではやや暑いくらいになってきました。
船明ダムの脇の駐車場でダムを眺めついでに防寒着を一枚脱いで、続行。
暖かいのはいいことです。
東向きの斜面はすっかり日光を浴びていますが、西向き斜面はまだ影がち。
青い空、白い雲、対岸の緑の木々に濃い影という、春らしいコントラストを楽しみながら北上していきます。
ちょうど先週の帰りと逆方向の走行ですね。
やがて見えてくるのは、バウムクーヘンのような坑口の船明隧道。
トンネル左に見えているのが、先週やってきた月まで3kmの看板です。
沿道には、先週まだ花開いていなかった花桃が綺麗に花をつけ始めています。
普通に考えると、つい先週やってきたばかりの浜松に、それも高速を250kmも走ってまた訪れるのは正気の沙汰ではありません。
しかしこの季節は週ごとに全く違う景色が見れるので、その価値はありますよね。
横山橋を渡って道は再び右岸へ。
うねうねと蛇行する天竜川に沿ってカーブを描き、東雲名(ひがしうんな)へ。
天下の国道ともあろうものが、青看板が劣化しまくっていて判読困難。
まぁ地元の人は頭に地図が入っているし、観光客は秋葉山だけわかればいいでしょ、ということか。
秋葉トンネルの手前で右折し、国道を離れます。
しかし天竜川から離れるわけではなく、川に近い旧道を走る形。
この道は県道285号と県道286号の重複区間です。
川の蛇行の内側に位置する岬のような地形の先に回り込むと、正面の山の中腹に横切るガードレールが見えます。
実はここ、ぐるりとループになっている線形。
ループ橋といえば展望台をつけてみたり、綺麗な花を植えてみたりと観光名所にされがちなのですが、完全に無名というのが隠れスポットっぽくていいですね。
ループを登った先には橋がかかっていて、ここで県道は天竜川の左岸へ渡ります。
ループ部は陸地のため名前がありませんが、橋は龍山大橋です。
下道の道路橋にしては珍しい上路トラスで、1955年製のロートルです。
ぐるりと反時計回りに登っていくと、中盤はトンネルになっています。
名前は鮎釣隧道といい、橋とは別の名前がついています。
このあたりの岬のような地形は南側が西雲名鮎釣、北側が龍山町大嶺という地名なので、橋とトンネルそれぞれの名前を分け合っているんですね。
橋を渡って、県道をそのまま進みます。
早いところでは桜もちらほらと花をつけ始めています。
道は秋葉ダムをすぎ、国道152号と川を挟んで並行するように遡上していきます。
噂の秋葉ダム千本桜はこの県道沿いに植えられていますが、まだ花咲いていません。
しかし、うっすら桜色がわかるくらいにはつぼみがふくらんできました。
平日晴れたら、来週〜再来週には見頃を迎えそうです。
銅の鉱山跡もあるらしい峰之沢をすぎると、県道は交通量が減って状況が悪化。
峰之沢までは路駐をちらほらと見かけましたが、その先は対向車も路駐も1台も見かけませんでした。
天竜川沿いでは、この手の道は早々に崩れて廃道化するイメージがあるので、ちゃんと通行可能な状態で残っているのは意外。
川の向かいには、走りやすいもののトロトロペースの車に捕まりやすい152号がずっと見えています。
あちらのほうが速度は遅いですが、こちらの方がカーブが多いので、ペースはおなじくらい。
やがて秋葉ダムの長いダム湖も終わりが近づき、川幅も狭まってきました。
おおよそ11kmの並行を経て、国道が大輪橋で左岸に合流してきます。
ここからは再び国道を北へ。
この先、国道152号は支流の水窪川に沿って北上しますが、向かう先は天竜川沿い。
大井橋で水窪川をまたいで、152号と別れを告げ、国道473号を走ります。
またもや蛇行をはじめた天竜川に沿って、国道はスイスイと気持ちよく切り返し。
川岸の高いところを進みます。
地形が一気に開けると、そこが佐久間の街並みです。
今日の主目的である小和田駅へ向かう飯田線の線路は、南西の豊橋からやってきました。
ここからはタイトルの通り小和田駅へ向かう・・・のですが、その前に中部大橋で右岸に寄り道しなければなりません。
塗装工事中で狭くなっている真っ赤な鉄橋を渡ります。
本日5回目の天竜川渡河。
詳しい方には今更の説明かもしれませんが、実は小和田駅には自動車やバイクで訪れることはできません。
それどころか、現在では徒歩ですら到達困難となっています。(不可能ではないらしい・・・)
なぜかというと駅の主な目的であった周辺の集落が軒並みダムによる水没や過疎化で失われてしまったから。
集落そのものが失われ、そこへのアクセス路が廃れ、もはや形骸的に駅だけが残っている状況です。
とはいえ、往来できないからこそ「秘境駅」として数えられ、旅の目的地になり得るともいえますね。
ということで、まずは飯田線の閑散区間の入り口、数少ない有人駅である中部天竜駅にやってきました。
ということで、小和田駅のひとつ南に位置する大嵐駅と小和田駅の往復きっぷを調達。
飯田線は車掌さんが乗務されているので、車内でも切符は買えるんですが、短い1駅間で手を煩わせるのも忙しなくて悪いですからね。
同じことをする人が2〜3人いるとたちまち列車遅延になりかねません。
ちなみに中部天竜駅の窓口の開設時間は9:10~17:25で、そのうち11:45〜12:30と14:20〜14:35は閉鎖、というなかなかややこしい仕組み。
大きなJRの駅だと指定席券売機があるので、そこで事前に購入するのが一番いいかも。
色々と話が長くなりましたが、また左岸に戻って天竜川に沿って北上を再開。
国道473号は佐久間から原田橋を渡って大千瀬川沿いに向かうので、ここからはかなりの長期間、県道1号がお供です。
事前の計画だと新豊根ダム経由でと思っていましたが、朝にゴタついたせいでやや時間が心許ないので、直行します。
県道1号に入って早々、通行止めのお知らせが。
おいおいまじかーと思いましたが、今日は規制なしの様子。
「本日通れます」の上貼りの下を見るに、年末年始や日曜日は対象外のようでした。
そもそもよく読めば夜間工事ですね・・・よく読まないとわからない道路看板、ちょっとアレですけど。
ということで、工事対象となっている複数のトンネルを抜けて進みます。
何度か紹介しましたが、この一連のトンネルは全て佐久間ダムの工事用道路の流用なので、狭くて、すれ違い困難で、路面は波打ちつつ濡れてもいて、なんなら素掘り吹き付けの壁が迫り出しています。
奥只見シルバーラインなんかも同様の成り立ちですね。
トンネルの群れを抜けたら、佐久間ダムに到着です。
この天端を渡って県道は右岸へ。
この先も渡り倒す予定なので、混乱する前に渡った回数を数えるのはやめましょう。
晴れた湖面に浚渫船が浮かぶのが佐久間ダムの定番の光景ですが、大きな船やタグボートが浮かぶ光景は、知らずに見ればリアス式海岸の入江のよう。
河口から70kmも離れた山中にこの光景があるのは、何度見ても不思議です。
県道1号は大規模な土木工事をもって作られていますが、その大規模というのは佐久間ダムが建設された1950年代での話。
長大トンネルや大橋梁ではなく、愚直に崖を削って盛って、地形に沿って進みます。
オーバーハングした崖は落石防止ネットがみっちり。
しかしそれでも落ちてくる石のとめどなきことは、ガードレール外に無造作に避けられた石の数が物語ります。
沿道の数少ない人里である富山までやってくると、西から県道426号が合流してきます。
こっち側にも通行止め看板がありますが、さっきと書いていることが違うw
日によっては日曜日でも通れない日・時間帯があるのかな?わからん!
一つだけ言えることは、迂回路が64.9kmとかいう絶望的な距離であるということだけ。
幸いにも今日は走り抜けることができるようなので、引き続き県道1号を北に向かいます。
そういえば、単に県道1号とだけ書いてきましたが、この道は長野・愛知・静岡の3県にまたがる道です。
佐久間ダムから先は天竜川の右岸は愛知県になるので、この区間は愛知県道ですね。
以前全線走っているので、詳しくはそちらを参照いただくとして、とにかくこの辺の区間は険しくて最高です。
お世辞にも交通量が多いとはいえない道であるものの、先ほどの迂回案内で見るように、周辺地域には他にまともな代替路がないため、災害が起きるたびに大規模に修繕が行われています。
中部天竜駅から1時間、30km弱の道のりを走り、見えてきたのは鷹巣橋。
ここでまた天竜川を渡って、やっとメインの目的地に到着です。
ここは大嵐駅。
たとえ狭隘で落石だらけの県道とはいえ、まともな自動車道からアクセスできる小和田駅のひとつ南側の駅です。
割とお気に入りのスポットで、やってくるのは3回目ですね。
小和田駅を挟んで北側の駅は中井侍駅で、こちらも2020年に訪問済み。
駅前駐車場・・・とは書かれていない空きスペースにバイクを止め、先ほど購入した切符で1駅、列車の旅といきましょう。
時間はここで10:50分といったところ。
なお、飯田線のダイヤは、ローカル線随一とまでは言いませんが、なかなかスパルタンな間隔となっています。
11:11の列車に乗り、戻ってくる列車は最速でも13:47・・・つまり2時間半後です。
1駅150円、5kmの距離にもかかわらずです。
もし11:11大嵐発を逃してしまうと、次はおおよそ2時間後の13:14ですが、それだと現地滞在時間が25分程度になってしまうんですよね。
長居しようとすると、その次は16:07で、文字通り日が暮れてしまう・・・。
と、新豊根ダムをショートカットしたのはそういう理由からでした。
1時間〜1時間半くらい滞在できる上手いダイヤがあればいいんですけど、そうなると7〜8時台ですからね。
ということで当初予定の列車に乗り、2両編成のローカル列車に4分ほど揺られ、小和田駅に到着です。
朝の列車で駅周辺を観光したであろう人が、3組ほど入れ替わりに乗車していました。
駅ホームだけを見れば、なんてことない、静かな山間のローカル駅です。
たっぷり2時間ほどやってこない(正確には通過列車はありますが)列車を見送り、駅周辺を散策することにします。
線路は現在1本しかありませんが、2008年までは向かいのホームにも線路があり、行き違いのできる構造になっていたようです。
いい感じの風合いになった木造の駅舎を眺めます。
建物の南側半分は待合室、北側は駅員さんの執務スペースですが、1984年以降は無人駅です。
券売機もなく、自販機もなく、トイレや水道などの設備は残っているものの、すでに機能していません。
駅前には小さい広場があり、その先は崖を降りる道が続くだけ。
反面、駅の中は比較的綺麗に維持管理されていて、腐っても現役の鉄道施設。
昭和中期の時代に取り残された大小2つの窓口と、公衆電話のマーク。
そして現在を生きるカレンダーと時刻表。いい味出してますね。
駅から続く坂道の突き当たりに、小さな四阿があります。
中には2つの椅子を並べたものが置いてあり、「小和田発ラブストーリー」「愛」「お二人の幸せを呼ぶ椅子」の文字が。
これは1993年に今上天皇陛下と皇后様がご成婚なされた際のブームにあやかったもの。
皇后様の旧姓が小和田(おわだ)様であったことから、字の同じ小和田(こわだ)駅で結婚式を挙げられた方がおられるとか。
待合室にも披露宴のお写真が飾ってあります。
現役・・・というか、原型を保っている建物は駅舎と四阿のみ。
駅に隣接するのはいくつかの崩壊した廃墟。
有名な話ではありますが、1970年代まで製茶工場として稼働していた大きな建物が2棟あります。
うち工場棟は屋根が完全に落ち、張り出し部分の床も崩落しており朽ちるに任せる状態です。
製茶工場の下には、こちらも有名ですが、三輪自動車のスクラップがごろんと転がっています。
30年以上は放置されているはずですが、その期間と比べるとサビがだいぶマシな気がします。
駅裏の広場のようになったところには、さらに数台。
ネコやかつての運賃表、ガイシなど鉄道関連のモノも無造作に転がっています。
JRがこれを不法投棄するとも考えづらいので、駅舎に隣接した倉庫か何かが崩壊してしまったのでしょうか。
少し沢沿いに歩き、川まで降りてくると、ダム湖特有の穏やかな水面と裏腹に底知れない深さを感じさせる斜面の角度を直近で楽しめます。
このダム湖がどこのダム湖かというと、1時間も前に通過した佐久間ダム。
30kmも離れたダムの影響がここまで・・・というのは、わかっていてもすごいですね。
沢の流れ込むあたりでは、山から落ちてきた砂がいい感じに積もっており、まるで砂浜のよう。
小和田駅ができた当時は谷底にも集落があったそうですが、この砂の積もり方を考えるとダムが消えても最早地上には痕跡は見出せまい。
あちこちに転がっている三輪自動車の類は、いくら古いとはいえダムの竣工年より新しいものなので、たぶん船とかで運んできたんだろうなあ。
駅周辺をざっと回ったあとは、少し遠出して、川沿いに続く歩道を行けるところまで行ってみることに。
落石や落ち葉が多いものの、手入れされているようで割とスイスイ歩けます。
この時期は虫も少なくて快適ハイキング。
なんでもない小径のように見えますが、法面の石垣やら部分的に据えられた手すりやら、簡易的ながらコンクリート舗装やら、相当手がかかっている道。
今は大嵐から林道がつながっていますが、門谷とか塩沢の集落へ向かう道がなかった頃は駅からこの道を利用したのだとか。
少なくとも2010年ごろまではこの道の上にあるお宅お住まいの方がいたようで(TV取材等受けられている)、その頃までは道も自治体の手で整備されていたんだろうなあと思う諸々。
緑色のフェンスなんかは全然錆びていませんね。
そこに住民票があれば税金で道も整備されるし、電気や電話を契約していればインフラも維持管理されます。
歩きやすい、とはいってもよそ見して歩いて踏み外すと普通に死ぬくらいの高さ・斜度はあります。
冬とか雪降ったり凍ったりもすると思うんですが、どうやって生活していたんだろう。
時間は12:00を回って、木漏れ日もいい感じに差し込むようになりました。
斜面は杉林になっていますが、間伐とかはされていないので、やや鬱蒼とした感じです。
杉林に混じってトラスの鉄塔がありますが、これはどうやら索道跡とのこと。
徒歩か列車でしかアクセスできないとガス等危険物は運べないので、その辺は索道で賄っていたみたい。
あとは道沿いにNTTの電柱が点々と。
あれこれ見ながら歩いているうちに、上下の分岐に到着。
上に向かうと先述の塩沢集落のようですが、今回はそっちに行くと戻るのが大変なので、通行不可を承知で下へ。
しつこいくらいに警告看板を置いてありますが、これが綺麗に掛かってるということは手入れがされているということ。
放置だと10年もしたら風雪で落っこちますからね。
あと400mで進めなくなるということなので、行って戻ってくるにはちょうどいい距離です。
分岐から先には民家もないようで、いよいよ道も弱くなってきます。
石垣の上には最後の住人がお住まいだったという家屋が見えました。
今でもたまに来て手入れをされているとか、いないとか。
確定の道は物好きが通行しているものの、積極的に修理はされていないようで、こんな感じ。
今更ですが、もはやツーリングレポートとは一体・・・?という内容になってきました。
道が弱くなったといっても、路肩はしっかりしているし、支障する倒木は取り払われた形跡があります。
少しいくと、正面に大きな岩が立ちはだかります。
いよいよか。
ぐるっと切り通しのような地形を回り込むと、その向こうに大きな人工物が見えてきます。
これが終点の高瀬橋、の主塔。
コンクリート製の頑丈そうな柱に、銘板ではなく掘り込みで橋の名前が入れられています。
再三警告されていましたが、ご覧の通り、通行できません。
最早立木に埋もれていて目をこらさないと見えないですが、メインケーブルは太いのが左右各1+2本ずつ生きていますね。
垂直の部材はケーブルの先に鋼材がつながっていたのか、ブランコのように輪っかになった部分がいくつか見えます。
ここまで朽ちると、「通れない橋がある」ではなく「橋はもうない」といって差し支えないでしょう。
北側の柱には「昭和三十二年一月竣工」とも彫られていました。
昭和31年(1956年)4月には佐久間ダムの発電が開始されているので、ダムができてから橋ができたんですね。
ダムの湛水を開始してから橋ができるまでの間は不便だったんだろうなあ。
ネット上にレポートを挙げてくださっている方のものを参考にすると、1990年ごろまでは渡れなくなったにしても、まだ橋らしい姿をしていたようです。
木材の劣化で年々痕跡が消えていっている感じですね・・・というのを現地で調べました。
ここ電波入るんですねw(SoftBank)
それも4Gで割と速度も出る。ネットにつながると一気に卑怯感が薄れる・・・!
2.5時間も暇潰せないかも、と思ってポッドキャストをDLしたりイヤホンを準備したりしましたが、普通にスマホでこの辺のことを調べつつ、朝コンビニで調達したパンを食べて時間がつぶせました。
普段のツーリングでは、走行中はできるだけ走ることに時間をを使いたいので、事前・事後の調べ物が多いのですが、鉄道旅行とか歩きだと現地で色々調べられるのでいいですね。
ということで、落ちた吊橋の橋台に腰掛けて昼食をとり、たっぷり1時間くらい自然を満喫してから戻ります。
行きは写真を撮ったり湖面を覗き込んだり、落ちている廃品を調べたりしていたので時間がかかりましたが、帰りはまっすぐ歩いて高瀬橋から駅までは20分ほど。
実質廃道といっておかしくない道にしてはとても歩きやすいですね。
橋の警告が浜松市の「天竜土木整備事務所」名義だったので、道の整備もそこがやってくれているのかな。
駅に戻ると、大嵐13:14発だった列車が倒木撤去による5分遅れをもって、ちょうど到着した頃合いでした。
列車が来るまでの残り20分ほどは駅舎内でぶらぶらして過ごし、3分遅れでやってきた列車で4分乗車。
大嵐駅に戻ってきました。
歩いて汗だくになったら駅看板に書いてある湯の島温泉にでも寄って帰ろうかなと思っていましたが、湖からのそよ風がちょうどいい涼しさだったことと、思ったより道が平坦だったのでそのまま帰ることにします。
ということで、バイクに乗っていない時間がたっぷり3時間ほど経過しましたが、ここからツーリング再開です。
とはいえ時間はもう14:00近くで、そんなに猶予はありません。
駅前の鷹巣橋をもう一度渡り、帰路につきます。
浜松まで南に戻って帰るつもりでしたが、ナビ的には飯田まで出て中央道で北回りがお好みの様子。
まぁ朝は時間がシビアで大嵐まで直行してしまったので、予定通りに帰ると同じ道を走ることにりますし、ここはナビの言うことを聞いておきましょう。
ということで、午後の気持ちいい日差しの中、見通しの悪い道をカーブミラーや路面に注意しつつスイスイ進みます。
こういう注意力を発揮する道は、スピードを出していなくてもアドレナリンがどばどば出てきて、最高に楽しいですね。
ちょうど小和田駅の対岸あたりで長野県に入ったら、そのまま飯田線と天竜川と並行して県道1号を北上し、天竜川橋で左岸に渡って平岡の市街地へ。
平岡の周辺にも色々見所はあるのですが、今日はスルーです。
平岡ダムを通り過ぎ、羽衣崎橋でまたもやの天竜川渡河。
やや高規格になった県道1号をさらに進みます。
平岡〜天竜峡あたりは人口も多くて交通量もそこそこあり、飯田方面から遠山郷へのアクセス路にもなっていることから、道の性格が一変しますね。
阿南で県道1号と天竜川に別れを告げたら、県道244号で峠を越えます。
時間は14:30を回りましたが、この時間でもまだ空が真っ青でいいですね。
真冬はこの時間、もう夕方前の空になりはじめますからね・・・
県道244号は見通しもよく舗装も綺麗で、上り坂をぐいぐいトルクで上がっていくキモいのいい道。
朝、国道152号を離れてからここまで、徒歩も含めて足元の危ない道ばかりだったので、リセットにちょうどいいです。
県道は突き当たって国道151号へ。
151号は2年前のこの時期に全線走破しましたが、その時と比べてもどんどん改良が行われ続けています。
東栄から飯田までという、スタートとゴールがほぼ同一の2本の道路ですが、壊れたところだけをピンポイントで修繕するだけの県道1号と国道151号ではあまりにパワーが違いすぎますね。
自宅まで300km程度、無給油で確実に帰り着けるレンジになったので、ここで給油しておきます。
ガソリン満タンで飯田市に入り、天竜峡駅のあたりでは天竜川と再合流・・・しますが、それを待たずに天竜峡ICから三遠南信道で飯田山本方面へ向かいます。
時間は15:00を過ぎ、さすがに地表は影が増えてきました。
このあたりでは南東にある自宅に向かっているのに、西に進んだあと北に向かうというムーブ。
全て南アルプスのなせる技。
辰野PAの手前で天竜川を知らず知らずのうちにまたぎ、これが本日最後の渡河。
あとは天竜川の始点である諏訪湖をかすめるように中央道で走り、帰るだけです。
16時台の中央道は渋滞不可避、ということで、長々と車列の中を走り抜け、自宅へ。
さすがに帰る頃にはどっぷりと日が暮れてしまいました。
遅め発+走行外アクティビティ3時間+700km級となると致し方なしですね。
ということで、この日の走行距離は高速主体ながらも密度高めのプランで692.9kmでした。
ODOは100758kmになりました。
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