土曜日にうっかり寝過ぎてしまったので、日曜日は生活リズムを調整するために短時間睡眠に抑えて体力を使うべく、未明発のハイキングありツーリングを企画しました。
ルートはこんな感じ
01:00に起床して、出発は02:00。
どちらかというと土曜日の26:00といったほうがしっくりくる時間帯です。
深夜割の高速に乗ってしまってもいいのですが、早く着いたところで日が登っていなければ結局時間をつぶすことになるので、国道4号をひたすら北上することに。
市街地では流れの悪い信号でストップアンドゴーを楽しみ、郊外に出てからはゆったりと交通量の少ない夜のクルージングを楽しみます。
日の出の時刻は4:40ごろですが、3:30過ぎにはうっすら空が白んできました。
さくらを過ぎる頃、日の出まであと30分。
ずいぶん明るくなり、見通しも効くようになってきました。
ルートもルートなら時間も時間なので、山間部のガソリンスタンドには期待できません。
まだ130kmしか走っていませんが、朝焼けを眺めながら早めに給油しておくことにします。
ここで入れたら帰るまでは無給油で行ける計算。
ちょうど夜明け頃に国道4号を離れ、野崎から県道185号へ。
突き当たって国道400号に入り、順調に道の駅湯の香しおばらを通過。
太陽が顔を出してからはあっという間に明るくなりますね。
いつもは観光客のゆったりしたペースに付き合いがちな国道400号も、さすがに朝の5:00前とあってはガラガラ。
速かろうが遅かろうが関係なく、自分のペースで走れると精神的な開放感が違います。
ちょうど5:00を過ぎた頃、日塩もみじラインの北側入り口に到着。
ここからはもみじラインを南進します。
塩原温泉の山間部はまだ直射日光の恩恵を受けていませんが、遠くに臨む稜線には朝日が差し込んでいるのが見えます。
朝夕ともにですが、こうやって斜めからの射光で山の凹凸が詳らかになる景色が結構好きです。
しかしながら標高が上がったこともあり、気温は8度。
薄手の長袖にダウンも着込みましたが、ジャケットのインナーは取り外し済みと厳冬期に比べて装備は劣るので、今日ばかりは早く太陽が昇ってほしい気持ちが強い。
もみじラインに入ってまもなく現れる、不自然にだだっぴろい敷地はかつての料金所跡地。
2020年の12月に無料化してから、はや3年半。
もう「日塩もみじライン」ではなく「栃木県道19号 藤原塩原線」のほうがしっくりくるかも?
相変わらずところどころ舗装が残念なので、ここはゆったりと、景色を楽しみながら流すのが最適。
モミジの薄い葉は、紅葉だけでなく新緑でも映えます。
惜しむらくは角度的にか、雲の多さのせいか、木漏れ日さんさん・・・とはならなかったこと。
しかし首都圏出発なのに何故か南下するルートをとったことと、早朝から太陽が高く昇りつつある時間帯ということで、徐々に新緑の鮮やかさが増していきます。
対向車は数台みましたが、同方向に走る車とは出会うことなく、ここも快適ペースで走行です。
5:40頃、反対側の料金所跡も通過。
爽やかな青空がのぞく良い天気になってきました。
もみじラインを出たら、国道121号でしばし北へ走り、すぐに県道23号へ折れます。
複雑に入り組んだ高架道路をトンネルを駆使し、ここからいっきに標高を稼ぎます。
やがて見えてくるのが、川治ダム。
今日は堤体を渡るルートではないのですが、せっかくなので近くまで行きます。
さすが堤高が国内5本の指に入るアーチ式のダム、ど迫力です。
しかしながら、首都圏からのアクセスの良さとその高さから、不名誉な定番スポットともなっている様子。
数年に一度はここからジャンプした人のニュースを目にします。
ダムに寄り道したあとは、ボート遊びをしている人を横目にみつつ鬼怒川を遡上します。
ここで時計は6:00、気温も徐々に上がってきました。
西の山は雲に覆われていて晴天ではなさそうですが、雨が降るわけでもない様子。
この日の都心は曇天にもかかわらず夏日の予報なので、曇っているくらいがちょうどいいかも。
野尻大橋を越えるあたりでダム湖である八汐湖は川に戻り、さらに上流へ。
栗山の街中ではあえて旧道に入り、青柳トンネルを迂回。
小綺麗な体育館を持つ栗山小中学校が目立ちますが、小学校は2022年、中学校は2023年で統合されて廃校だそう。
統合先は20〜22kmほど先なので、結構不便そうですね・・・
小中学校跡の少し先に見えてくるのが、黒部ダム。
高さの割に幅広で、曲線様に8門並んだゲートが優美です。
現在の状態になったのは平成元年の1989年ですが、明治時代の1912年に竣工した当時は、22門もあったというから驚き。
2017年に「ダムを見学してなかったのが悔やまれる」と言って以来すっかり忘れていたので、今回訪問したのでした。
霧降高原から降りてくる時にダム湖だけは見えるんですけどね・・・
ダム脇には改修記念碑が置かれていました。
歯車は明治につくったダムのゲート稼働部品だとか。
すぐ上流には巨大な圧力水管が山肌を這っています。
これは川俣ダムから引いてきた水を、栗山発電所に導くためのもの。
ちょうどこれから向かうところですね。
引き続き鬼怒川沿いに歩みを進めます。
沿道には点々とドライブインや集落があり、山奥という感じはしません。
実際には相当分け入った立地なんですけどね。
若間のあたりではトンネル工事を伴うバイパスが建設中。
この奥に控える川間温泉へのメインルートなので、観光的にも災害対策的にも重要な道路です。
開通済みの野門トンネルを抜けたあとは、萱峠トンネル・瀬戸合トンネルを迂回する旧道に入ります。
どちらも2003年の開通で、20年選手。
瀬戸合峡へのアクセスルートとなっているからか、20年前の旧道とは思えない快適な道。
九十九折りで高度をあげていくと・・・
あっという間に水面は眼下に。
覗いた先にあるのが川俣ダムです。
ダムへは駐車場からそれなりに歩くことと、そもそも開門が9:00〜なので今日は上から眺めるだけ。
ダム正面にかかる「瀬戸合峡 渡らっしゃい吊橋」は、上流に川俣ダムを見上げ、下流に瀬戸合峡を見下ろせる絶景スポットなのだとか。
まもなくバイパスに合流し、川俣の集落を抜けて川俣大橋を渡ってさらに上流へ。
川俣という地名は広く、この下の集落から上の温泉地まで同じ地名で、地域名なしです。
温泉地の中央で丁字路。
東は今きた県道23号、南は日光戦場ヶ原へ抜ける山王林道です。
そして西が林道奥鬼怒線、まずはこちらへ進みます。
ところどころ狭くて見通しの悪いながら、しっかり舗装された林道を走っていくと、到着するのは女夫渕温泉・・・の跡地。
かつてここには温泉旅館がありましたが、2013年の地震で施設が損壊して廃業。
今では奥鬼怒温泉郷へのアクセス駐車場となっています。
この先、奥鬼怒スーパー林道が尾瀬戸倉温泉方面まで続きますが、環境保護の観点から一般車両は通行止め。
(般の字が搬になってる・・・)
途中にある奥鬼怒温泉郷に行くためには、ここで車を降りて向かうことになります。
主要2施設は送迎車があるのでよいですが、なんと残り2施設は2時間以上の道のりを徒歩で向かわなければいけません。
今日はタイトルの通り秘湯に来たわけですが、さすがに日帰り入浴で往復4〜5時間の徒歩をする気はありません。
これから目指すのは女夫渕温泉の生き残りとも言うべき、もう一つの湯。
立派なトラス橋を渡り、右岸に辿り着くと、すぐ脇に遊歩道の入り口看板。
遭難注意の仰々しい注意書きと、急な鉄の階段が目に入ります。
鉄の階段を上り切ると、今度は木の階段。
山歩きですね。
ところどころ階段が崩れていたり、土が抜けてスカスカになっているところを注意しながら上ります。
熊注意らしいので、スマホから音楽を流して熊鈴がわりに。
小高い丘を登り切ったら、ここで分岐点。
女夫渕から来て、引き続き近道の遊歩道を行くか、遠回りだけれど歩きやすい車道に出るかです。
私は歩道を選択。
手入れはされているものの、必要最低限といった感じ。
倒木が平気で頭上を塞いでいますが、しゃがめば通行は可能。
道は下りに転じ、時には遊歩道、時には木の根に頼りつつ進むと、立派な橋が見えてきます。
「鬼怒の中将乙女橋」という大業な名前の橋を渡って鬼怒川の左岸へ。
場所によっては路盤が消え失せているところも。
一応迂回路は取り付けてありますが、それも雨上がりとかはやめておいたほうが無難。
途中で朽ち果てたベンチも見つけました。
言葉通り、腐っても遊歩道、と言う感じがします。
山中に山火事を誘発するタバコを奨励するような吸い殻入れがあるのも時代を感じますね。
灰皿の名義は1992年に消滅した「今市営林署」名義でした。
落石と倒木の嵐ですが、足元が乾いてさえいれば可愛いもの。
ちゃんとピンクテープが巻かれているので迷う心配もありません。
ゆったりめに25分ほど歩いたところで、真新しい看板。
しかしこれが実は結構な罠で、今は赤と黒、どちらの道も繋がっていません。
赤の道は女夫渕からいきなり通行止めでなので、赤の道が通れないことには変わりないのですが、黒の道は黒の道で存在しないという・・・
赤の道が使えなくなったあと黒の道を作って仮復旧、その後本復旧時に黒の道は潰してしまった様子。
この看板、2020年ごろに訪れた人のレポートではバツ×印にテープが貼られて隠されているんですよね。
テープだけが剥がれて看板が残ってしまい、あたかも現用の案内に見えるという恐ろしい罠。
今通れるルートはグリーンで、こんな感じ。
車道との連絡ルートのイエローが分岐するところが分岐点ですね。
そもそも、この看板の名義である栗山村も2006年には消滅しているし・・・。
地理院地図が割と近いルートを書いてくれているので、これを参考に歩けば迷いません。
九十九折りは省略されていますけどね。
地図に文句をつけつつ、もう少しだけ先に進みます。
先述の通り今日は奥鬼怒温泉郷まで行く気はなく、この先少しいったところにある「カッタテの滝」で転針。
ちょろちょろっと対岸に渡り、たどり着いたのはこちら。
川から岩場一つ挟んで、このこぢんまりした小さな溜池、実はこれが温泉です。
岩場の窪みにパイプで温泉と川の水が流されており、ほどよい温度の掛け流しになっています。
底には泥が溜まっていたりするので、ちょっとかき混ぜてゴミを出してから入ったほうがいいかも。
周囲にはここに繋がっていない太めのパイプが何本も並び、大掛かりに川を渡っていたり、少し離れたところにポンプや小さな貯水槽もあったので、元々は女夫渕温泉の源泉だったのでは?と推測。
ちゃんと地形図にも温泉として登録されている、正真正銘の源泉掛け流し温泉です。
源泉マークはさらにもう一つついているので、そちらも見に行くことに。
遊歩道をさらに上流に行くと大業な落石防止壁が現れます。
しかしそれすらガッツリ破壊され、ごろごろと巨大な岩が鉄骨をへし折って川に落下。
こわやこわや・・・
見上げると同じ色の岩肌。
震度5とか来たらまた崩れてきそうですね。
その壊れた落石防止壁のすぐ下、川辺に小さなくぼみが。
・・・地形図的にはここが源泉?
落石が直撃して消失している可能性もありますね。
こっちはさすがに見通しもよすぎるし、中年男性が入浴してたら事案が発生してしまうのでスルーです。
ということで、片道30分程度で到着、周辺散策しつつ目的を達成したので、来た道を戻ります。
左岸〜橋までは同じルート、橋の先、分岐を車道側に行ってみることにします。
分岐の看板からは、あっけなく10mほどあるけば車道に出ました。
この仮歩道の看板は「黒のルート」を作った時のものとセットっぽいですね。
車道側を歩いて女夫渕まで戻ります。
階段や木の根道とは程遠い、車のための九十九折り。
未舗装ですが普通車の通行には支障のない程度の手入れがされています。
送迎の車はここを通るんですね。
道がいい分、遠回りが激しい。
ヘアピン部分をショートカットしたい衝動に駆られますが、焦って怪我しても仕方ないのでだらだらと道沿いに歩きます。
ちょうど太陽が照ってきて、気持ちのいいハイキングです。
そうこうしているうちに最初の遊歩道入り口に到着。
歩道30分、車道40分、入浴時間コミコミでちょうど100分程度のハイキングでした。
さて、ここからはしばし戻りの道。
途中の工事看板に可愛いイラストを見かけたのでチェックしておきます。
建設会社の趣味かな、とも思いましたが、どうもこの人の作品っぽい。
時間は9:00目前、すっかり明るくなった道を戻ります。
川俣温泉の中心あたり、ちょうど丁字路の脇に戻ってきました。
ここにあるのは・・・
ここ、間欠泉展望台。
間欠泉とは、間欠的に温泉が噴き出す源泉のこと。
原理は定かではないそうですが、突沸によるものとの説が有力だとか。
残念ながら2018年の台風24号以来、間欠泉は止まっているみたい。
こればっかりは自然現象ですから仕方ないですね。
展望台には足湯が用意されていました。
温泉には先ほど入ったばかりなので、遠慮しておきましょう。
ちなみに間欠泉の噴出場所は対岸のあそこで・・・
アップにするとこんな感じ。
左側の岩肌から盛んに温泉が湧出していましたが、間欠泉の噴出口は右側の白い人工物あたりの様子。
これは2011年の震災で吹かなくなったときに調整したもののようです。
すこしずらして橋の上から見るとこんな感じ。
なまじ横からぶりぶりと温泉が沸きまくってるだけに、「そっち堰き止めたら噴くんじゃないの」と思ってしまいますw
最近は復活したとかしていないとかの情報がありますが、15分くらい待ってみて気配もなさそうだったので諦めることに。
今でも頻繁に上がっていたらSNSである程度の情報があるはずですが、全然ないですからね・・・
展望台の看板に噴出当時の写真があったので拝んでおきます。
気を取り直して、ここからは往路と別方向。
山王林道経由で戦場ヶ原へ抜けます。
夜間通行止めなのと、2024年6〜9月は通行止めのようなのでご注意ください。
山王林道は2017年、黒部ダムを撮り逃した時にも通過済みですが、今回は逆方向アプローチになります。
沿道には日光らしくお猿さんがそれなりに。
こちらのことを訝しげにみてはきますが、襲われたこともないし、頭がいいのかちゃんと避けてくれるのでそれほど心配ではありません。
以前のレポートでも書いた通り、タイトなヘアピンと直線区間が交互に出てきます。
そうそう、こんなだったな。
相変わらず落ち葉が多いのと、今日は霧の影響か、やや湿っているので、ペース遅めで走ります。
治山碑まで辿り着いて、時間は9:30。
女夫渕の自販機で買っておいた水を飲んで一息つき、再開です。
この林道の名物?である3連トンネル。
クラクションを鳴らして難なく通過。
幸いにも対向車はなし。
あの杉の葉だらけの路肩で離合したくないですからね・・・!
南に行くにつれ天気はやや曇り空に。
もともと晴れのち曇り、夜間雨の予報なので予定通りとはいえ、やはり新緑の季節に日光がないのは寂しいです。
まして地名が地名だけに。
と、そうこうしているうちに林道区間を走破。
おおよそ40分間の走行でした。
国道に出てからは、ルート策定時点では金精峠方面に抜けるか草木湖方面に抜けるか迷っていました。
草木湖方面は4月末に行ったばかりだし、金精峠はまだ寒かろう、というのもあり、日光はいつも通過ばかりでろくに立ち寄っていないな、ということで日光方面へ。
左前に男体山を見ながら戦場ヶ原を抜けます。
ペースは軽トラにあわせてゆったり。
さすがに10:00前になると、こちら方面でも交通はありますね。
対向からはバイクの集団とレージャーのSUVがひっきりなしにやってきます。
象徴的な鳥居を潜り、さらに東へ。
そういえば華厳滝も長らくいっていないので、今度また来た時は寄ってもいいかも。
でも今日はもう、階段を上り下りする系の観光はお断りです!
下りのいろは坂は道を譲ってくれる車が多く、大半はマイペース走行。
先週、GWだったらこうはいかなかったでしょう。
ありがたいことです。
馬返しの手前で長い車列に追いついたので、あとはだらだらと隊列走行。
東照宮の袂を抜け、神橋を渡った先・・・
この駐車場にバイクを置きます。
決してコインランドリーの駐車場を無断利用しているわけではなく、前金制の予約駐車場です。
一般のコインパーキングは山ほどあるのですが、二輪お断りの事例が多くて、観光地では止めるのに困ってしまいます。
しかしここは二輪OKの明示があったので利用させていただくことにしたのでした。
駐車場は駅の裏手なので、ぐるりと表に回り込みます。
JR日光線の終端が見える土手の上、四季島が来た時とかいい感じに写真撮れそうですね。
まずやってきたのは、やや西側に位置する東武日光駅。
駅の中には土産物屋や駅弁屋も入っています。
入場券を買ってお邪魔します。
列車の到着時に人でごったがえす駅も、紅葉オフシーズンで列車の合間だと静かですね。
Y字型の駅は3面5線。
3面と言いながらY字の真ん中には植生があるので実質4面。
南側の2線は一般の列車が発着します。
北側には特急がやってきます。
去年の7月にでびゅーしたばっかりのあたらしいやつ、スペーシアXですね。
凝っていて格好いい。
駅前の路面電車前では色々イベントもやっているようでした。
おかげで路面電車に近寄れずですが、普通の観光客優先なので仕方ないw
英前から少し南に歩き、今度はJR日光駅。
1912年(大正元年)製の大変古い駅舎で、2009年にレトロ調を大事にしたままに改装されました。
屋根が半透明で明るい印象です。
こちらはシンプルに対向式2面2線。
向こうのホームの反対側も元々は線路があったっぽいですね。
あっち側はホームは普通の屋根。
奥に次のスペーシアXがやってきていました。
本数多いなあ。
JR側はすっきりしている代わりに設備が面白く、四季島用の出入り口や・・・
皇室専用、貴賓室など。
しかしもう40年ほどは宮内の方がご利用されたことがないのだとか。
イベント時に公開したりしているようです。
貴賓室は普段公開されていませんが、改札外の階段を上がり、2階の「ホワイトルーム」は見学自由です。
一等旅客専用待合室跡・・・今でいう空港ラウンジ的なやつですね。
大正時代ならではの、洋風を取り入れた和風建築。
今は特段家具や展示物があるわけではないですが、それがかえって上品な感じでいいですね。
舞踏会とかできそう。
屋根のシャンデリアもちゃんとメンテナンスされているようで、よく見たらLED電球ですね。
そんなこんなで1時間ほど駅内・駅前をぶらぶら観光し、ほどほどのところで昼食に。
駅前の味処 あずまさんに入店です。
メニューは、日光名物らしい湯葉を食べるべく、ゆば豆乳そばと・・・
ゆばの唐揚げ。
卵焼きみたいに巻かれた湯葉が揚げられていて、もちもちして美味でした。
腹もふくれて12:00、渋滞が始まる前にサクッと帰ります。
高速道路は二輪車定額割引で37.5%off。
大人しく日光道から東北道へと最短で走り、今日の目的達成です。
バイク降りての行動がそれなりにあったので、走行距離の割に時間はたっぷりかかりましたが、目的だった睡眠と体力の調整は達成できたので良し。
今日の走行距離は456.2km
ODOは116032kmになりました。
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