12月も3週目に入り、一気に冬の気候になりました。
ここ数日は晴れが続いているので凍結の心配はなかろう、ということで、北関東に足を伸ばして廃線跡を巡ってきました。
ルートはこんな感じ
出発は5:00・・・のつもりでしたが、目が覚めたので早めの4:00出発。
まだ真っ暗な常磐道を北上します。
この時期の高速走行は、カウルつきのバイクとはいえども流石に寒く、走行風がこたえます。
せっかく110km/h制限なのに90km/h程度の走行で少しでも体温を保持します。
千代田PAで一度休憩をとり、あとはゆったり北へ。
前述の通り、今日は鹿島鉄道の廃線跡を巡ります。
この路線は石岡から鉾田を結んでいたので、順当に行けば石岡小美玉で降りることになります。
しかし、自宅を早く出た影響でまだ周囲は真っ暗。
水戸まで延長走行して時間調整をしてから行くことに。
水戸ICで下道におります。
そのまま国道を南下するのもつまらないので、立ち寄れそうな場所を探したところ、手近に楮川ダムがあるので向かうことにします。
「楮川」は「こうぞがわ」と読むそうですが、最初椿(つばき)と誤認してずっと地図で探してしまいました。
6:20を回って、急速に白みはじめた空を眺めつつ走ります。
高速を降りて速度が下がっているはずなのに、全然寒さが和らがないな・・・と思ってメーターを見ると・・・
まさかの氷点下7℃。そりゃ寒いわけだ。
冬の気温は当日の太陽が出る直前の夜明け前が一番寒いんですよね。
イメージとしては夜中が一番寒そうですが、前日の気温が放射冷却で徐々に失われていって、翌日暖まり始める直前が冷え込みます。
-7℃はこのバイクを買ってから見た最低の数値かもしれないです。
刈り取られた田んぼも、一面に霜が降りて真っ白に化粧しています。
水たまりがあれば凍結必至なので、注意して走りましょう。
楮川ダムへは、たいして登らずあっという間に到着。
こんなに谷が浅いとマトモに水がないのでは?と疑うほど。
一般的にダムというのは深い渓谷に建設されるものですからね。
そんな疑念とは裏腹に、湖水はなみなみと湛えられています。
ただ、周囲を見回しても、どうも水源となりそうな山がない。
カラクリを調べたところ、このダムは「楮川ダム」なのに楮川からは取水せず、那珂川の水をポンプで移送して、上水の水源にするという変わったダムだそう。
発電目的ではないのに揚水するダムっていうのも珍しいですね。
堤高は35mと中庸な感じ。
まだ微妙に残っている紅葉に白い氷がついて綺麗な景色です。
ダム湖畔の植え込みも悉く真っ白になっていて、なんだか不思議な雰囲気。
バイクを降りてダムを歩いたので、体は少し温まりました。
楮川ダムからは、石岡に向けてだらだらと下道を走ります。
沿道にセコマを見つけて朝飯がてら立ち寄り。
引き続き-5℃とか-6℃を指している気温とあいまって、まるで北海道な気分です。
1時間ほど走り、7:45ごろ、JR石岡駅に到着。
空はずいぶん青くなってきました。
鹿島鉄道は、鹿島参宮鉄道として開業し、最後は2007年に廃線になった路線です。
現役の鹿島臨海鉄道とややこしい名前ですが、親会社は同じ関東鉄道です。
廃線になって17年が経過しているだけあって、駅の東口にあった施設はすっかり空き地になったり、再開発されています。
しかしながら、本線跡地だけはかなり面影をとどめています。
というのも、ここ石岡駅から先5、kmほどの線路敷きはBRT「かしてつバス」として現役で再利用されているから。
駅の南側に来ると、片手の本線踏切跡地にBRTの横断路があります。
すぐ隣には現役の路線、JR常磐線。
鹿島鉄道がなくなったあとも特急列車が停まる立派な駅です。
本題である廃線巡り、できるだけ過去の遺構を見たいものの、BRT走行路はもちろん一般車通行禁止なので、回り道しつつ辿ります。
まわり道中にアンダーパスした分譲住宅地の中に架かるコンクリート橋も、鹿島鉄道時代のもの。
やや新しいのは、このあたりの開発に伴って盛土を削って道路にしたからかな。
「フローラルシティ南台」と名前のついた造成住宅地のど真ん中に小さな公園があり、そこにBRTの停留所が設けられています。
こちらは石岡南台駅跡をそのまま利用したもので、かなり濃く鉄道時代の面影が残ります。
駅前にはトイレと、噴水だったと思しき施設。
1989年開業とあって、維持管理度外視の豪華で小綺麗なバブリー設備です。
BRT停留所の待合室の向こうには、鉄道時代のプラットホームが一部そのまま残っていて、不思議な空間。
鉄道駅時代の跨線橋は立ち入り禁止となり用途廃止されてしまっていますが、停留所としても行き違い構造を維持しているため、向こう側へは道路を横断してアクセスできます。
反対側ホームは、ほぼほぼそのままの長さが残っていて、かつての線路上でバスを待つ方式。
せっかく立派な道があるのに1時間に数本バスが来るだけってのも勿体無いもんですね。
待合室内にはBRT開業10周年を祝う掲示物が。
これも2020年なので、もう4年も前になってしまいましたね。
石岡南台駅跡から先、廃線跡は国道355号と少し離れつつも、並行して東へ伸びます。
いくつかある脇道とBRTの交差点には簡易的な遮断機が設置されていて、BRT側への誤侵入を防いでいます。
ちょうど四箇村駅跡でバスがやってきました。
ガイドウェイバス的な特殊車体ではなく、普通のバスに見えますね。
BRT専用道はこの四箇村までで、残りは国道355号に合流して常陸小川駅跡まで通常のバスとして運行。
その先は鉾田方面や茨城空港方面などに分かれます。
四箇村から先の廃線跡はご覧のとおりで、BRTとして再生されていないので、かつての路盤が明確に残っています。
このまま路盤を走りたいですが、流石にそうはいきませんので、また迂回しつつ常陸小川駅までルートをなぞります。
線路跡の大多数は空き地のままになって、深い藪につつまれているようですが、一部は市道として共用されています。
走れるところは積極的に走りたい。
不自然に土地が広くなるところは、かつての鉄道敷地であることが多いですね。
常陸小川駅の跡地はBRTのターミナルになっています。
鹿島参宮鉄道としての開業当初はここが終点で、延伸後も末期まで始発列車の設定があった様子。
生まれながらのターミナル駅は、今でもかわらず交通結節点の役割を担います。
一方で、完全に廃れてしまったままの駅跡も多数。
こちらは田んぼに取り残された、小川高校下駅跡。
駅も廃駅なら、その名前の元になった県立小川高校も廃校になってしまいました。
高校の敷地は市立小川南中学校として再利用されているようですが、国道のほうが学校に近く、駅跡は再利用されそうにありません。
積雪地だったら間違いなく屋根が落ちているところですが、そこは温暖な関東平野ですね。
腐り落ちた蛍光灯の周りに生々しい羽毛が散っていたので、猫か猪あたりが食事をしたのかも・・・
そのまま田んぼの中を突っ切り、配線跡はまだまだ伸びます。
ところどころ、小さな川を渡るトラスが残っていたり、踏切跡にはレールの痕跡もあります。
基本的に踏切以外のレールは全て撤去されているので、残っているということは撤去に手間がかかるんでしょうね。
桃浦駅跡の手前で、線路跡は霞ヶ浦に接近。
せっかくなので湖岸を走りましょう。
時間は8:30を周り、やっと震えるほどの寒さではなくなってきました。
とはいえ気温は以前として0℃付近。
全く寒くないといえば嘘ですが、風がないのがありがたい。
少し進んだ先で湖岸から離れ、小高い丘を超えます。
古くから営みがありそうな住宅地の中を抜けていくと、思わせぶりな空き地が目に飛び込んできます。
もちろんこれが線路跡。
すっかり藪の中。
反対側はこんな感じで、カーブの奥にホーム跡がありますね。
路盤跡は生活道路として活用されているのか、草刈りがされているようで、封鎖もなし。
少しお邪魔して歩くと、ホーム上に待合室も原型をとどめていました。
ただ、ホーム上はほとんど藪になっていて、人ひとりやっと歩けるくらいしか残っていません。
ホーム壁にはペイントされたキロポストも残っていました。
石岡駅から8kmってことはないので、多分12.8kmの8なんでしょうね。
堀割りの路面はよく草刈りされていて、車も通れてしまいそうです。
一部現役当時のバラストと思しき砕石も残っており、廃線跡っぽさはここが一番かもしれません。
この先もどんどん歩いていけそうでしたが、戻るのが面倒になりそうなので200mほどで戻ります。
廃線跡はここから、南の玉造をぐるっと回ってV字型に鉾田へ向かいます。
回り込み部分にも小さい橋やカルバートの遺構はあるものの、あまりめぼしいものがなさそうなのでスキップし、巴川に架橋された鹿行橋へ。
大きな2径間のプレートガーターがしっかり残っています。
県道8号がこれと並行して走り、最後の鉾田駅跡へ。
終着駅の1つ手前、旧坂戸駅のほど近くに、ほっとパーク鉾田という温泉施設が立地しています。
日帰り温泉や温水プール、バーベキュー場などが併設された大規模施設。
その駐車場脇には、鉾田駅保存会の手によって2両の列車が保存されています。
鉾田駅跡は現役のバスターミナルとして利用されているようなので、ずけずけと入っていくわけにもいかないですし、この車両たちを眺めて廃線めぐりはおしまいにしましょう。
時間は9:00をまわりました。
白にブルーの車体はKR-500型のKR-505、鹿島鉄道のオリジナル車です。
平成3年と、わりと新しい導入。
16年ほどしか使われなかったことになりますね。
もう一両はキハ600形のキハ601で、国鉄キハ07の改造車。
こちらは戦前、1930年代後半に製造されたガソリンカーが元で、鹿島鉄道に来たのは1960年代。
ずいぶん車歴に差があって面白いですね。
路線自体の歴史についてもしっかりと記載されています。
保存車の傍にはミニ列車のレールも敷かれていて、保存会の方が手入れされたり、定期公開の時に運転をされている様子。
ちょっとしたテーマパークですね。
さて、廃線巡りがおわったので、あとは帰るだけ・・・というのもつまらない。
地元の美味しいものを食べて帰ろう、ということで、道の駅 たまつくりに立ち寄り。
ただ、物産館は09:00からオープンしているものの、軽食は10:00から。
時間潰しがてら隣にある虹の塔に登ることに。
地上約60mということで、大洗マリンタワーと同じくらいですね。
タワーへの入場料は440円。
ボルタリングの利用も含まれているのだとか。
そこからタワーへ行くには、2Fまで変わったスロープで登って・・・
渡り廊下を経て、エレベーターで上層へ。
霞ヶ浦の西浦北側、いわゆる高浜入の入り口に位置するこの施設、南側を見ると巨大な霞ヶ浦を一望できます。
北西を見ると高浜入、もちろん茨城のシンボル筑波山もしっかり見えます。
東側は霞ヶ浦の湖岸に広がる肥沃な田園地帯も見えます。
この手の見晴らしのいい地形では、無闇に100mとか150mとか高い塔だと地表が遠くなり過ぎてしまうので、このくらいの高さがいいですね。
田んぼが水をはった時期や、稲が青い時期にくるとまた別の美しさがありそうです。
初日の出を見るために元旦特別開放もしているのだとか。
時間をつぶしたら、道の駅に戻ってきてお昼にします。
軽食どころの席は、屋内にはカウンターのみ。
デッキにはテラスもあるので夏場はテラスかな。
テイクアウトも可能です。
チョイスした地物のメニューはこちら。
ハンバーガのセットと、単品もう一つ。
ハンバーガーはこの道の駅名物、行方バーガーの「なめパックン」と「かもパックン」です。
それぞれナマズとカモのお肉ですね。
肉の味自体は、かわった素材からくるイメージと裏腹にスッキリあっさり美味しい。
バンズがこんがり気味で食感が好きなのもあって、かなりアリですね。
サイドメニューではありますが、ポテトもカリカリでジューシーだったのが好印象。
食事を美味しくいただいたあと、時間はまだ11:00前。
朝めちゃくちゃ寒い思いをして茨城まで来たのに、ここで帰るのはちょっと勿体無い。
ということで、30分ほど走って茨城空港にやってきました。
定期航路は到着・出発それぞれ6〜7便、羽田や成田より遠い・・・という利便性なので、こういうついででもなければそうそう来ませんからね。
ターミナルは2階建てで、到着出発ともに1階にあり、2階はデッキや商業施設になっています。
展望デッキからの眺めはなかなか、そこそこ。
滑走路挟んで反対側には自衛隊の百里基地がある・・・というか、百里基地が2010年から官民共用になったのがこの空港なので、そちら目当てのお客さんのほうが多そうですね。
駐車場脇にも百里基地関連の展示があります。
2機の飛行機は、どちらもF-4系統。
緑が偵察形のRF-4EJ、白がF-4EJ改の戦闘機形ですね。
排気ノズルはどちらもダミーかな。
2機並んでの展示は珍しいですし、RFはたしかここでしか見れないので一見の価値ありでしょう。
EJ改を近くで見たいならエアーパークがおすすめです。
空港ではお土産を調達してフリースペースでコーヒーをのみ、時間は12:00を回りました。
ぼちぼち頃合いかな、ということで、2021年に開通したアクセス道路で石岡小美玉SICに直結帰宅です。
この日の走行距離は無給油一発で走り切って、314.4km。
ODOは125,557kmになりました。
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